エロス:生の欲動。快を求める傾向。生存を確保し生物を統合し続ける動き。生存本能。 云々
タナトス:死の欲動。不快を選択する傾向。有機物を無機物の不変性に帰そうとする動き。消滅欲求。 云々
おっそうか。何いきなりノムリッシュFFもドン引きな中二語解説もどきからやってんだ。私は学者でも何でもないので「大体こんな感じのことが書かれてるよね」くらいのことしか分かりません。
懐かしの『FF零式』をやっています。本当はやってないFFをどんどんやっていくべきだとは思うんですけれどもね(一応FF14しばらくやってました)。
零式は筆者の中で「坂口退社以後のFFの、最高作に “なり損ねた” 作品」みたいな印象があったので、このタイミングでもう一回やってみたらどうかなと思いまして。
クリスタルによる「死んだ人に関する記憶は余計なので消します」というトンデモシステムが敷かれている世界・オリエンス。そこで軍事侵攻が勃発し、侵攻を受けた朱雀領の秘密部隊及び候補生チーム「0組」に所属する14人の十代男女を主役とした物語。
まあ今回はさわりだけでまたちゃんと書くかもしれないし、別に書かないかもしれない。
「最高作に “なり損ねた”」というのは、ゲームデザインからシナリオまで全方面において「コンセプトややろうとしてたことはとても良かったと思うけど、あまりに粗が多すぎた」からですね。
学園パートと戦場パートとを反復するコントラストから始まって、14人それぞれに行き届いたFF式キャラ特性分けや、総員展開らしいパーティチェンジを前提とした作り、ミッション性の高いゲーム部分などなど趣旨はすごく理想的だったと思います。死と群像劇を主軸に置いたシナリオテーマも良い題材だったんじゃないかと。
でも、その全てが手放しで褒めるには「もうちょっとどうにかならんかったんか」って感じの作品。世界観とか軍事展開も今見るとかなり雑っぽいんだよな……(軍事描写がファンタジー的空論では許されなくなったような時代性も感じつつ)。
あまり手厳しく言うのも何なんだがやっぱり好きになれない独断行動カップル。まあ、FF10のティーダのムーヴってあの世界の第三者からしたらこんな感じだったんかな(※この場合主にティーダ以外の面子が道を違えた末に死ぬものとする)って気分になります。「スポーツの絆は国境を越える的スピリット」が足りなかったのだ……。
私が公式の主人公代表です。エース。ヴァンよりは目立っている主人公代表。バッツとどっこいどっこいくらい(世界がどんどん目茶苦茶になっていっても淡々と前に進んでいく感じも何だかバッツ的だ)。ちなみに彼もチョコボ愛好家で、またif ENDではパーティの女性陣をスルーして意外すぎるサブキャラと付き合っているらしい。バッツの後継者は優秀だった(いやバッツもど優秀な男やっちゅうねん)。
というかパッケージ顔だけアップで見るとまあまあhydeですね……。
閑話休題。そんな感じで死の記憶も持つことなく戦地へ駆り出されていく十代の戦士たち。先にも言ったように戦場部隊でありつつもまだ候補生の身なので、バチバチの前線任務パートと学園生活パートとを往復するゲーム展開が特徴的。
FF8みたいなもんかとも思われるかもしれないが、何かとまだまだ平和っぽかったFF8に対し いきなり目前までの侵攻と死線から始まる零式はとにかくギリギリで余裕がない。何より「死んだ人に関わる記憶は消されていく」というクリスタルの力の存在が常に彼らの言動や思考を取り巻いていて、来たる最期への予感をちらつかせる。
──なんとなく、「エロスとタナトス」という言葉がずっと頭にちらつくような作品である。戦士だからといって、死者の記憶がなくなるからといって、しかし彼らは人並みに恋をし、誰かと日々を過ごして、そして死んでいく。
ちなみに前回の話題から『火の鳥』をカラー版で再読し始めたのだが、こちらもそういえばこんな様子だった。より生々しい。
──筆者はここ数ヶ月、「作品の話をする時にキャラクター談議ばかりになってしまう流れはもう禁止にしよう」という謎のルールを自身に課していました。謎すぎてすまない。
まあ単純に古典RPGで育った身としてキャラクターにばかり話題が集中する在り方への疑問が抑えられなくなったというのもあるし、あとやっぱり、ソシャゲを中心にどんどん世の中の二次元作品が「エッチさのチキンレース」の度を上げていく様子への忌避感もあったと思う。多くが「エッチさ」であって「エロそれ自身」とは直対面しないというのが何ともチキンレース。
品がないザマスというのとはまた別の根本的な歪さというか、何かが露骨に欠けている印象がチキンレースが加熱するほどどんどん強くなっていくような感覚。天使たち低空飛行、ぎこちなくて笑う。
──自分はある程度のデッドさや退廃的な雰囲気の作品を好む方だと思う。と言ってもおもいっきりハードコアみたいな作品はそれはそれで手に取らないので言えたものでもないのだが。世間的にはFF零式でも「残酷すぎてしんどい」という方もおられるのだが、自分はある種「これくらいで丁度よい」とか思っているところもある。
「死の欲動」なるタナトス。まあさっぱり分からないのだが、例えば一つにゆるくふわふわした作品よりも血も乾きそうな作品を望む感覚とかが、翻ればその一種だったりするのかなとか思ったりもする。大切に想うのはゴージャスな装飾よりも血と骨。
死のムード蔓延る世界だからこそ、そこで力強く生きている人々が、異性が、恋情的にも人間的にも美しく焦がれて映るのだろうというのは(そんな綺麗事でもない話だが)、ゲーム体験としても伝わるものがあるんじゃなかろうか。寄り道が長くなったがFF零式はそこに根本的なテーマを置いた作品でもあるだろう。
そして単に性と死の対比構造が描かれているというだけでなく、物語最後にある “最も死を恐れていた男が終戦後に大成し、愛する人に看取られて死んでいった” というエピローグこそが、おそらくは「エロスとタナトス──生と死の同一」という御題目を締め括るにも相応しいポイントだったのではなかろうか。うーんFF零式のことはもう十分書いちゃった気がするな。
筆者はクイーンが一番好きです。
そんなこんなで後期の最高作に “なり損ねた” FF零式。しかし一方で、例えば筆者が自由にFFの新作をプロデュースしていいと言われたら 一つには零式の再構築みたいな作品を目指してみたいなあなどとも思う「不全の決定作」だったりするのです。
まあ話も纏まったような気もするし、エース、あれ歌ってくれよ。
HYDEさんじゃないか…………いや……お前、エースなんだろ……?
FF零式の主題歌はBUMP OF CHICKENです。普通に名曲です。エースも作中で歌います。まあプレイして聴いてください。
「エロス」なんてお題を上げてみたりもしたので、前々からこれは挙げてもいいかなと思っていたアダルトゲームを一つ
『シェル・クレイル 〜愛しあう逃避の中で〜』
筆者が知っている中では一番好きなアダルトゲーム。2003年のアリスソフトのノベルゲームで、全然DL販売とかが出なくて入手難になっているという作品(本当に何で知ってんだ)。
話はというと、まあ父親公認の逃避行を遂げたと思っていた良家の男女が、その裏から忍び寄るお家事情、政治、情欲、貧窮と売買、そしてクスリ、などに翻弄され愛の在り処も失いながらそれでも何かを求めていくお話です。単にメイン男女が悲劇ぶっていくだけではなく物語に関わる誰もが運命と欲望に翻弄され、そのなかで性愛とは何か、生と死とは何かとを俯瞰していくようなお話。
きっちり紹介してみたいという気持ちもあるんですけれども、改めて起動するのもめんどくさいし(すげえ話長いし)、まとめ記事とかを漁ってみようにもその類いのものもあまり見当たらないという。プレイ動画くらいは流石にあるかも。
アリスソフトでは「異色作」と言われているらしいけど、“アダルトノベル” という文脈としては「超どストレートな王道」だったのではないかと思っています。丁度この曲のようにな。
数え切れない “クリスタル” 飲み込んで
『ONE LIFE, ONE DEATH』