中3以来にFF6をやったら記憶よりずっと面白かったという話 (改稿)

 

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※以前書いたページをある程度整えなおしたものです。

 

 

 

FF6ピクセルリマスター(Steam版)をクリアしました。

 

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FF6は筆者が小学生の頃に出会ったゲームソフト(FF9とほぼ同時期くらいに遊んでいたと思う)。記憶に深く残る作品であれど、自分の中での好きさで言うとまあぼちぼちかな〜などと思っていたのですが、改めてやってみると記憶よりもずっと楽しかった。想像よりも盛り上がってしまったのです。

 

そもそも最後にクリアしたのっていつだったっけ?と記憶を辿ってみると、確か中学卒業の直前くらいに中古のPS版で遊んでみたのが最後だったはず。えっ? 当然のようにFF6のサントラ楽曲を聴いてたりネットの話題とかに触れているからか勘違いしていたけど、もう10余年以上ケフカと戦っていなかったのだ。結構衝撃の事実。

 

 

そんな中3以来ずっとこびれついていた私のFF6へのイメージというと

「天野と植松とケフカがすべてのゲーム」

 

グラフィックと音楽は一切文句なし。攻略本の天野絵やケフカというキャラクターは間違いなく小学生の私に絶大なインパクトを及ぼした存在。

だが、ゲームとしてはかなり詰めが甘かったという印象。終盤の雑な調整、あまり出来がいいとは思えないバトルシステム、シナリオも良いところもあるもののツッコミどころ満載。……ゲームとしてはなんだか「名作」とは呼びづらい、言うならば世界観・雰囲気ゲー。記憶の中のFF6はそんな印象でした。

 

 

──では、もう一度あの雪原から歩いてみましょう。

 

 


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アートギャラリーより。名画しかないのである。

 

 

 

 

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FF6 introduction - YouTube

・オープニング:いや最高だろ。

 

このカットだけでああ、FF6が始まる……って感じですね。

映画のようなどという評価は再三言われてきているが、具体的には何っぽいのだろうか。植松は音楽について「ヨーロッパ映画で流れるようなものをずっと目指していた」と言っていたが(スターウォーズちゃんと見たことないな……)。ロマン味に満ちた名曲だ。

「“王道RPG” とか言う時ってだいたい初期のFFやDQが意識されているが、そもそもそれらの作品は王道RPGなんか目指してなかったしもっと革新的な意識で作っていただろう」 といったことを、このオープニングだけでも改めて思わされたりも。

 

 

 

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・やっぱりFF6は何だかアーティスティック


先のオープニングで始まり、雪国と言っても炭鉱風なデザインで空気の汚れまで想起させるようなビジュアル、そこに馴染む鬱蒼としたジャジーな音楽。いかにも天野喜孝の世界といったような幻獣やモンスター。そして極色彩の妖しい道化みたいなケフカの登場。歪んだくるみ割り人形のようなあの曲が流れる。

 


Final Fantasy VI - Kefka (Orchestral Remix) - YouTube

ピクセルリマスターのこの曲のアレンジ、バッチシだった。宿命的に批判の声ばかりが強くなりがちだけど良い曲は本当に良いんですよPR版アレンジ。5と6は全楽曲アレンジ自体がようやくだったし。

 

開始1時間足らずで「芸術か?」と思ってしまうようなドット世界。暗いアートのような雰囲気が作品全体に充満している。今更言うまでもないがFF6こそ初代と並ぶ「天野喜孝ワールドをそのまま舞台にしたようなFF」でもあっただろう(天野御大の気持ちが最もFFに向いていた時の作品でもあったはず)。

 

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天野絵の無駄遣いみたいな魅力があるコロシアムのテュポーン大先生

 

 

 

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・ツッコミどころを誤魔化しもしない脅威のシナリオ

 

ありえない勢いで広まっているけど一部の人間には全然効いていない猛毒。単なるガラス玉(マッシュ談)を頭に被って大海を横断するシーン。いや「世界崩壊で水面が上昇したことにより、海底の蛇の道が陸地になった」とか「うん……うん……?」ってなる話も。

昔のゲームはそういうもんだとは言われるが、いやFF5や4でもファンタジーながらもうちょっと文脈がしっかりしていた気がしないか。まして初代ロマサガはすこぶるキッチリしていたわけだし。FF6はなんかもうとにかく勢いで振り切ってる。

 

 

 

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・やたらと “黒い” シナリオの数々

 

上は野生児ガウを獣ヶ原に棄ててしまった彼の父親の話。その他のメインキャラクターも、やれ兵士50人を瞬殺したと言われる魔導少女、やれヤバそうな薬師と組んで元恋人の遺体を保存している男、やれいろんな罪の意識に囚われたまま最後の最後に自殺するアサシン、極めつけはあろうことか世界を破壊した仇敵を崇めるカルト教団の列に参列している爺さん……

「16人全員が主人公」と謳うその主人公たちでこの内容である。今だったらほぼNGだろというくらいに淀んだ物語たちがナチュラルに並んでいる。ていうかFF6がリメイクされないのって大体この辺を扱えないからなんじゃ……


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例えばFF7に見られる自己愛と裏返しな倒錯性とも、メガテン的な世紀末志向とも毛色の違う……「オルステッド性悪説とアート志向がオカルト悪趣味を地点に融合しちゃった」みたいな黒さ。

1994年はオウムの事件の前年だし、FF6自体がその手のオカルト悪ノリが最大まで高まって破裂する直前の作品だったのかなあとも。

 

 

 

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・『魔法』と『固有アビリティ』の競り合い自体がラグナロックイベントだったんじゃないか

 

魔石を用いてほぼ全員が魔法を習得でき、更にレベルアップ時のステータス補正もつく本作品のバトルシステム。

おかげで「単に全員でアルテマ打っていればOK」などと皮肉られたり、「レベルアップ前の装着管理がめんどくさい」とか言われがちな作品でもあった。筆者としてもキャラクター全員が同じことをやっているようなバトルにはしたくなかったので、今回のプレイでは意図的に魔法の習得や装備する魔石を縛ることに。

フィガロ兄弟やカイエン、シャドウなどの攻撃スキル持ちキャラは前線系ステータスアップを持つ魔石のみ。ロックやセッツァー辺りなら「ラ系魔法」辺りまで。モグやガウも固有能力を駆使することを目指して魔法は微回復系オンリーに。結局フェニックスクラスの魔石・魔法を手にするのはティナ、セリス、リルムの3魔女だけ。アルテマはとうとうティナ一人だ。


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これが結構「本来はこのバランスを想定していたんじゃないか?」という丁度よさ。当然、機械系のボスに一斉にサンダラをぶっぱなしたりとかできないし、不意に回復班が倒された時にエクスポーション切ろうかと迷ったりも(結局余るんだけどね)。

 

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そういえば、FF6には「最強の武器を選ぶか、魔法を選ぶか」というラグナロックのイベントがあるが、実は魔石システム自体が「ステータス強化を選ぶか、全員魔法集団を選ぶか」という選択こそが本質だったのではなかろうか。いやもうそれでええよバランス的に。

ちなみにストラゴスは「青魔法あるし予備程度でええやろ」とあまり覚えさせなかった結果、コストが高いだけの使いづらい魔導師になった。じいさん……

 

 

 

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・ちょっと低めのレベルで挑むFF6のボスたち

 

もう一つFF6でとかく言われることが、「敵が弱い」。だからこそ魔石制限を課したりなどして進めていたのだが、意外なことに後半は結構追い詰められることもまずまず。というか順当に進めているはずが記憶よりも味方キャラたちのレベルが低いのだ。

魔大陸突入あたりでレベル20弱、フェニックスの洞窟で30前後、そしてラストバトル直前で37,8くらいだったか。

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うーん低レベルやり込み勢と比較されても困るが、かつて自分がプレイしていた記憶よりは10以上は低いはず。マッシュも全然必殺技覚えないし。このレベルだともうラスダン辺りはわりと一撃死覚悟だった。

 

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そんな感じで各ボス達と戦っていると世界崩壊後は結構個性派揃いなボスが多かったんだなと気付いたりも。復活するパーツを持っている奴、カウンターで属性全体攻撃してくる奴や、いきなりエンカウントして即死魔法を連発してくる死竜、セーブポイントのないダンジョンの最奥で確定アルテマしてくる究極の初見殺し教祖……。あの前作FF5と比しても劣らない個性満載な敵たちだったのかもしれない。多分。

 

 


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ケフカという誰かの神様

 

群像劇で語られるFF6において、その群像すべての悪敵として立ちはだかる最悪の魔術師・ケフカ。邪心と破壊欲の権化。FFのオールスターゲーム作『DFFoo』では、歴代敵キャラの中でも唯一の「共闘のしようがないのでシナリオ上追放」を下されたとかいうFF史最大のヒール。

遥か小学生の頃にプレイした時から、私はケフカが大好きだった。何故?と言われても「素敵だから」としか答えようがない。小さなドットの中でもカラフルでよく動くうえに独自の笑い声までついている男が、度々現れては鮮烈に立ち回り、ついにはラスボスにまで上り詰める。小癪な論理も振りかざさずストレートな衝動のみで悪夢の頂点に座す。子ども心を押さえるには十分二十分だろう。

数多くの子どもたちが漫画やアニメの主人公に思いを馳せるように、ヒーローに憧れるように、私にとってはケフカがヒーローだったのだと思う。別に私が暗い子どもだったわけでもなく、子どもが、いや人が憧れるものとはだいたい「正義」ではなく「力」なのだ。やっぱり暗い子どもだったかもしんないけど。

 

 

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一方で「帝国唯一の良識派」などと言われるレオ将軍のことは子どもながらに嫌いだった。信用ならないと思っていたんじゃないかと思う。目の前の人間には立派ふうなことを口にするけど普通に帝国将軍としてやることはやっている面も描かれてるし。まあ、ルビカンテ共々「殺し合いに対する意識がスポーツ感覚だろ」とか思っていたかな。

 

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今にして見れば、レオは人間的には人格者な分「社会悪の塊だった」と筆者は言うかもしれない。

 

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そんなレオが ケフカという「悪意そのもの」のような男に殺されていく構図は、物語としてハマりまくっていただろう。すべてのまどろっこしさを超えて今ここに悪が君臨する。

 


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崩壊した世界、瓦礫をかき集めた塔の上で、道化が神を気取っている。これはきっと何かの聖書だ。

 

 

世界崩壊イベントまでプレイした後、妙にテンションが上がりすぎた筆者はこの曲を聴きまくっていたという。90年代前半に貫かれたルーツがそこにある。

 


BUCK-TICK - NATIONAL MEDIA BOYS (2015 MIX) HQ MV - YouTube

More Than God

踊れ踊れ  仕組まれたMetoroの夜のBourgeoisie

 

RPGとは本質的にはラスボスの物語」 とは某RPGプロデューサーの言葉。物語は主人公たちの如何など関係なく、ラスボスの台頭で始まりラスボスの崩落で終わる。ケフカ、あなたは今も昔も最高のラスボスキャラクターだった。

 

 

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・世界崩壊

 

ご存知FF6ケフカによる世界崩壊前と後でシナリオが大きく様変わりする。ある意味2つのゲームを1つのソフトにまとめ上げているかのようだ。大地が裂けていく崩壊シーンはプログラマーたちが盛り上がりまくってたんだろうなみたいなダイナミズムと高揚感もある(坂口たちのFF6プレイ会でもそんな話あったような)。

近年、スクエニスタッフが何かのインタビューで「今の時代だとビジュアル面を疎かにできないしボリュームが重くなるので、世界が動くような展開は作りづらい」という旨のことを言っていた。だから今のゲームはどうだなどと言いはしないが、まあ、高水準のグラフィックとダイナミックな世界観の展開どっちかを選べと言われたら断然後者かな。

 

 

 

 

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・『仲間を求めて』


世界崩壊と絶望の淵から始まる物語後半パート。今更も今更な紹介だが、いくらか歳をとってこんな世の中にも生きているとやっぱり思うところもある世界だ。

これからは絶望か希望か、なんて簡単な話かというとそうでもない。むしろここからがFF6の「黒さ」の真骨頂だとも言える。仲間の一人まで加入しているケフカの宗教、闘争の時代が来たと喜ぶコロシアム建設者、苦しい生活のなかで恋人のお腹に子どもが出来たがどうすればいいのか分からず一人で荒れている坊や……。

 

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何故こんなにも救いのない話なのかと記憶に残るガウの父親再会イベント。思えば、崩壊前の物語では安直なまでに「全部帝国のせい」という風に話が進められていた。だが世界が崩壊してからは、さながら人の醜さと逞しさ、不安と祈り、脆さと強さなどが露わになって入り混じる。様々な心模様が綯い交ぜになっていく群像劇。そしてそんな物語を一つに紡ぐように、フィールドに出ればあの曲が流れているのだ。

 


仲間を求めて - YouTube

 

『仲間を求めて』

ガウの父子イベントを終えた後、フィールドで流れ続けるこの曲だけが進むべき “希望” であり、“ガウたちが選んだ答え” であるかのようだった。『仲間』を求めてというワードにも実感がこもる。

曲単体で聴いてばっかりいた頃は「どっちも名曲だけど、ゲーム前半で流れる『ティナのテーマ』の方が好きかな」とか思っていたのだが、改めてゲームをプレイしながら触れてみるとこの曲の存在感に完全に圧倒された。

この頃──少なくともSFC時代くらいのFFは、「物語を音楽が支える」というよりも「音楽が最も物語を訴えている」存在だったと思う。ゲーム内で語りきらなかった時代のゲーム音楽は、BGMであると共に「象徴」の役を担っていたのではないか。

 

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・「ケフカ」に対する「ティナ」

 

世界崩壊前は戦闘兵器として殺戮の道具にされ、そこから抜け出して旅を続けてきたティナ。自分が幻獣と人間との間に生まれてきたその理由や、またそんな自分と他者とを繋ぐという 「愛」と説かれた言葉の意味を探していた少女。そんな彼女は、崩壊後の世界では子どもたちだけが残されたモブリズの村で孤児たちの母代わりをしていた(ディシディアでの護られ姫的扱いは何だったのかと思うほどタフネスだ)。

 

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そして、孤児たちを守ることを通して自分の存在理由を見つけ、未来へと向かっていく。

 

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──群像劇RPGのラスボスがこの世の何もかもへの破壊に飢えたケフカで、それに対置する主人公代表がこのティナだというのは美しい対比のようだったなと改めて頷かされたり。

 

 

 

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・関係ねえ! ファンタジーの冒険だ!

 

物語の始まりを告げる、極北で発見された氷漬けの幻獣。物語終盤になってからバトル〜仲間になる展開も、その際の「この殺気に満ちた世界、(1000年前の)魔大戦がまだ続いているのか?」という台詞も素敵。

近代機械の描写やキャラクタードラマばかりが注目されがちだけどやっぱりやっぱりFF6もまたファンタジー世界の冒険なのだ!

 

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美女の絵画に死霊が取り憑いている屋敷イベント

 

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幻獣たちを囚えた研究所にて廃棄されるイフリートとシヴァ

 

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ドットグラフィックの至宝「魔大陸」

 

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デザインがかなり好きな魔法生物ネラパ。ケフカが生んだ片足バレリーナ

 

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まさに心象の迷宮をゆく夢の中

 

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入り口から最奥の主まで遊び心の塊、ゴゴのダンジョン

 

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筆者のお気に入りスポット。砂漠の深くに沈んでいた1000年前の亡国の城と、石にされたまま城内に遺る幻獣オーディン

 

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古代の王女と幻獣を巡る恋物語と、その顛末。

 

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圧巻の三闘神

 

古代城はモンスターの殆どが魔法耐性を持っていたり、現代以上にハイテクそうな機械兵器も登場したりすることから、1000年前の文明の様子がうっすら見えてくるというのもミソ。RPGのそういう魅せ方が好きです。

 

 

そんなこんなで楽しかったFF6も、終わらせてしまう時です。

 

 

 

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・ああ、やっぱり弱かったよ。

 

結局弱いじゃないか! 鬼神の方がまだ全滅したりしたわ! うーん4連戦だから個々だと弱く感じるのでは?とも思っていたがそういうわけですらないらしい。根本的に弱い。HPも低いし簡単な攻撃くらいしかないから淡々と攻撃と回復をまわしているだけで勝手に沈む。

仮にもシナリオ上は大陸破壊したり幻獣吸収とかやったりしていたのだから相応の能力を持ち合わせておくべきでは……。私がFF6リメイクに携わったら七英雄くらいには強くするから覚えとけよ(携わりません)。

 

 

 

 

 

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・蘇る緑

 

16人の主人公一人一人の見せ場を描く前半部から、後半は緑の復活と 世界中で復興に励む人々の姿、そして新しい命の誕生を描いてこのゲームは幕を閉じる。

最高のエンディングだと思う。最後に満を持して『FINAL FANTASY』が流れるパートで、世界中の人々の姿にシーンを費やしているのが本当に素晴らしい。最後まで物語と音楽は一つのものだった。

 

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「モブ夫婦の間に赤ん坊が生まれるところを描いて終幕」という構成が、後世にこれでもかと流行りちらす「主人公の英雄的な死去エンド」との早すぎた対比のようですらある。そこも含めて思い出すことの多いエンディングだ。

 

 

しかしやっぱりFF6、よくよく考えるとあまり綺麗に纏まらない。

 

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「三闘神とケフカが消えたことで世界から魔法の力がなくなる!」ということで、ティナこそ助かったものの幻獣たちは全て消滅させられている。彼らからすればひたすら人間のとばっちりに振り回され最後は全滅させられたというお話だった。更にFF6には「魔法生物」という魔力を基に生きている生命体たちもいたので、そんな彼らももれなくここで全滅したのだろう。やっぱり最後まで「人間はクソ」だった(魔法がなくなってもマッシュのかめはめ波やセッツァーの謎スロットは使えるのだろうか……)。

そして、ケフカの信仰者たち。まあ一年足らずでカルト過激派集団になってた連中なんて絶対ノリで生きてるという気もするが、彼らのこともまた考えずにはいられない。そもそも崩壊後は人類vsケフカみたいな論調で話が進んでいるが、ケフカを信仰していた連中もまた人間なのである。

まあそんなこんなも最後までFF6らしいし、行間やアフターストーリーに繋がるものとして受け入れられるかなあとも今は思います。

 

 

 

 


ファイナル・ファンタジーXI 記念サイト WE ARE VANA'DIEL | SQUARE ENIX

 

2021年のFF11対談より。河津神から「全力を投入して作る感じが“坂口イズム”だと思う。自分は『ゲームはこうじゃなきゃダメでしょ』というところから入るタイプ。そこが坂口さんとは根本的に違う。坂口さんは『オレがやりたいものを作るんだ』という感じ」という話題。

最近の記事だったこともあってFF6を遊んでいる間もこの話が頭にチラつきながらプレイしていた。FF6はゲームとしての基礎以前に「オレ達のやりたいものを」といったメンタルで構築されている趣がある。それはもう、6以降の殆どのFFに通底していることではなかろうか(一方、そんなことを言ってる河津は “RPG(レーシングポエムゲーム)” などの新ジャンルを生み出していた)。

しかしやっぱり根本的に真逆な2人なんだなあ。この2人が実質の両輪だったからこその旧スクウェアの英華だったのではとも思うが。河津神FF5では「ジョブ使用なし」のテストプレイを、6では「魔石使用なし」のテストプレイをされていたとのこと。2作のやり込みプレイウケに神の見えざる手あり。

 

 

 

そもそも中学を最後にゲーム本体には触れていなかったのに、音楽やイラスト集やプレイ動画だとかにはきっちり触れ続けていて、それで「そこまで好きな作品でもないけど」とか言っていた筆者の姿はさらさらギャグだったかもしれない。ずいぶんオチまで長かったな。

まあ、振り返るとやっぱり全部が素晴らしいとは言いきれないけれども、最後はエンディングを見ながら「このゲームをやってよかった」「子どもの頃に触れておいてよかった」「そして思っていた以上に私はこの作品に毒されて育ったんじゃないか」などと思えたのでした。ありがとう、また会おう、名作。

 


FF6 CM 声入りメインテーマ フルバージョン 【歌】 - YouTube

 

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さて戻ってきて2023年8月。FF16もやったし、久々のプレイステーションでやってないFF作品やっとくか、いやSteam版でクオリティが不安になって放置したFF5ピクセルリマスターをSwitch版でやろうか? などと思うところですが。

え? 6の次は7? 今更FF7を?

 

 

 

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興味ないね。(REMAKEのサントラ盤も開けながら)