#サガエメラルドビヨンド
— 河津秋敏 (@SaGa30kawazu) 2023年9月14日
お待たせしました! 最新作を発表しました。TGS2023のステージでさらに詳しく紹介したいと思います。是非、観に来てください。
#ロマサガ4
— 河津秋敏 (@SaGa30kawazu) 2023年9月15日
死ぬ前にやりますと言いましたが、まだ死んでないので何とかなるとは思ってます。
これはロマサガ4を最終作とする流れでは……
さておき、そうした河津神のコメントや新作発表への衝撃に端を発してか、「サガが好きな理由って何?」「何でどのサガタイトルでも好きなの?」といった話題をチラッと見かけた。
考えてみれば改めてそこを言語化したことって自分の中でもなかったかもしれない。まあぶっちゃけ「河津が作ってるから」の一言に尽きるかなとも思うのだが、それだけ言ってても話にならないので、改めて自分なりに言葉に起こしてみたい。
と言っても、「あれもあります!これもあります!」みたいな作品に入っている要素の列挙になっても営業臭いしイヤなので、サガらしく出来るだけシャープかつ自分なりに纏めたいと思う。
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いつだってサガに触れれば新しい衝撃があった
初めて『魔界塔士サ・ガ』を遊んだ時、ゲームボーイ黎明期の本当に短くてチープな作品なのに物語に一気に引き込まれた。
ラスボスの正体なんか正直あまりに有名すぎて遊ぶ前から知っていたのだが、終盤に向かうにつれ徐々に神にすがる人々の描写が増えていき、その度に心がざわざわした。そして、その彼を倒すという展開と、「最後は神が勝手に用意した楽園ではなく、自分たちが切り開いた世界へと帰る」というラストにストレートに感動した。
自分が遊んだ頃というのは既に3Dの美麗グラフィックと長尺なシナリオが主流の時代だったのだが(クライシスコアが流行ってた頃だと思う)、そういう “演出力” とは真逆のレトロゲームでここまで持っていかれるのかと衝撃を受けた。
短い児童本が心に響いた時のような感覚、と言えば良いだろうか。仰々しく言えば「物語に必要なものとは何か」みたいな考えに大きな一石を投じられたような感覚だった。
『サガフロンティア2』を遊んだ時、死生観、歴史観、時代の変化、人々のうねり、そういったものがするっと物語のなかに落とし込まれたその内容に心から感銘を受けた。何より「神の名は出さず、しかしその世界にある信心や観念、社会通念といったものに立ち向かい創り変えていった物語」であることに気づいた時の感動。『世界観を創る』ということを最初に教わったのがこの作品だったとも思う。
『ロマンシングサガ2』を遊んだ時、「数千年に及ぶ歴史が自分がどう歩んだかで決まる」というダイナミックさに持っていかれた。そして「どうも画面に映る選択肢だけじゃなく、こちらの細かい行動やタイミングでも物語自体が分岐しているぞ」と気づき戦慄した。あと触手の威力に爆笑した(笑うしかなかった)。
『アンリミテッド:サガ』はシステムが複雑怪奇なゲームだったが、まず「HP0=戦闘不能、ではない」ことから驚いた。 “そもそもHPの元来の意味は『体力値』ではなく『攻撃のヒットに耐えられる比率』である” とかいう話はどこかで聞いた記憶はあったのだが、まさかそれを地で行くようなゲームがPS2の列にあるとは思わなかった。DQ・FF以前のところからRPGを問われたような気がした。
また、独特な仕様に対して説明書がなかったことでお馴染みのアンサガだが、誰かが語っていた「でもアンサガが出た時の、基本の仕様から全部を自分たちで模索している感覚は楽しかったよ」という言葉もよく憶えている。
『ミンサガ』は、まず崖に飛び込むかーちゃんやナチュラルにダンジョンに幽閉してくるウコムの使いなど、奇想天外でプレイヤー達を振り回しまくるキャラクター達のムーヴに唸らされる。行儀よく主人公を待ったまま停止しているNPCなんて存在しないかのようだった。
そして謎の男・ダークとの出会い……最初はこのキャラクターが節々で語る過去話がさっぱり見えてこなかったのだが、蓋を開けてみると “2つの記憶が混在しており、一定のステータスが上がるごとにどちらかの記憶が蘇って喋っている” のだと判明。そしてその片方であるアルドラの記憶を辿りきった時、それは『このマルディアスを取り巻く、過去と神話と今現在を繋ぐ物語』だったのだと気づき完全に圧倒された。意味難解な記憶語りからゲーム上の設定を理解した果てに舞台全体を取り巻くマルディアス神話へと繋がっていく、まさに最上のRPG体験だった。
またリマスター版をやった時には、各地にいる四天王それぞれが歩んできた道筋や、身の置き方、或いはサルーインのしもべに乗っ取られ親しんだ冒険者たちに殺されてしまうまでの生涯に思いを馳せた。話しだしたらキリがないが、それぞれの生と、歴史と、世界が、マルディアスにはあったのである。
『サガスカーレットグレイス』は、「自由度の高さを謳うゲームは結局みんな最適攻略法でしか遊ばなくなる」という言説を真っ向から凌駕するような手応えが印象的だった。
「RPGにはこれだけがあればいいという部分だけ残した」という本作は、ゲームを繰り返すほどに浮き彫りになる重厚な世界観と、膨大かつ正解のない選択肢と、いつまでもスリリングなバトル設計に貫かれたゲームだった。それは例えば、“ゲームを読み物として、誰かが作った最短ルートで流し見して畳む” ような在り方に対しての真正面からのアンチテーゼであるかのようだった。
サガはいつだって新鮮な体験を与えてくれたし、いやそれは新鮮であるだけでなく “気づき” というか、敢えて言えば何か大切なことに気づかされるような体験だったように思う。
他のRPGとは根本的に違うようなRPG体験
先のアンサガにあったHPの仕様の話なんかが端的だが、サガシリーズは根本的に他のゲームシリーズとは手応えが違う。
それはどこよりも独自なゲームシステムであったり、自由でありつつも引き返しがつかない選択肢であったり、殆ど映画やアニメ的な演出を用いない淡白な表現なのにユーザーの心を刺すようなテキスト・シナリオまわしであったり。
ミンサガリマスターでのインタビューで、河津がDQ・FFを引き合いに出しつつ「一本道にお話しが進んでいくように当時のRPGが進んでいたので、最初に作っていたように、どこに行ってもいいような形式でゲームを作りたかった。」ということを言っていたが、まさしくDQ・FFより以前の文脈からRPGの形を練りつつ、かつ昨今のオープンワールドに対しても『自由に歩き回れても、用意されたものを全部開けていくだけならあまり意味がないんじゃないか』といったスタンスをとってきたのがサガシリーズだと思う。
新作のサガエメラルドビヨンドでも、開発スタートの決起集会の場で河津から「Apple IIのころからRPGの手法というものはあまり変わっていないんだけど、その中で新しいことをしたいというのが『サガ』なんです」という話があったという。グラフィックが違う、バトルシステムがちょっと違う、とかいう以前のところから別物かつ視点の違う手応えを常に提示してくれる作品だった。
河津の「RPG論」、そして「価値観」の塊
やれ神から貰える伝説の武器があんまり強くないのは「神の恩寵よりも人の努力。今生きている人が鍛えた武器の方が強い」から。ロマサガ2で序盤に最南まで進出して資金難になるプレイヤーが多かったことについては「明らかに何もない方向に進むからです」。いやそもそも原典たるFF2の “「古代の魔法を今取り出しても強いわけがない」理論でミンウさんの命と引き換えの究極魔法をくそ弱くした” 怪伝説など、その “河津理論” は枚挙に暇がない。そして、謎の濃ゆい説得力がある(い、一応アルテマ事件は河津の名前が上がったわけではないが……)。
サガフロのように他のスタッフのセンスが前面に出た作品もあるが、しかしやはり根っこのところでサガというゲームシリーズは「河津の味で出来ている作品」だった。世界観・物語・システム……作品の幹から細かい枝葉までの隅々が「河津節」に満ち満ちた作品である。
あまり物事を流行りのネットスラング的な言葉に落とし込むことは避けたいのだが、敢えてそれっぽく言えばサガは「思想が強い」タイトルだろう(一面的な見せ方なんかは絶対にしないが)。
私は「思想が強い作品」が大好きだ。
今まで読んだ中で一番の漫画を選べと言われたら、ご丁寧に手塚治虫巨匠の『火の鳥』を選ぶ。巨匠の人生観や社会観、価値観、氏が人生のなかで感じたであろうもの一切をぎゅうぎゅうに詰め込んだ、いや詰め込みきれずに未完となった作品。そういった作品が私は一番好きだ(そういう意味でもジョジョとかでも良いんだけど)。
勿論「思想が強い」からと言って「この人の考え方は好きじゃないな」と除ける作品も世の中にはあったとも思うが(というか単にイデオロギーを貼り付けただけの代物なんか中途半端でしかないとも思うが)、基本的にそれらのうち名作と呼ばれるものは良かれ悪しかれ含蓄や見識、説得力を持つ表現、そして刃のようなエネルギーに富んだものであると思う。
そういった強い “河津の理論” が作品の隅々に注ぎ込まれ、「一個の世界観」として完成され、氏のRPG論とも結びついて独自のゲームデザインとして展開されていく。
──と話が逸れてしまったが、まあ「手塚先生の『火の鳥』や『ブラックジャック』が好きなように、荒木先生の『ジョジョ』が好きなように、河津神の『サガ』シリーズが好き」ということです。
何と言っても、そういったサガ独自の味が「目新しい!」「新鮮!」というだけではなく「非常にしっくりくる」からこそ自分にとって絶対的なのだと思う。
「主人公が顔を出さないと世界が停滞しているかのような作りはよくない」「神様が勝手に置いていった武器よりも、今人々が創り上げた武器の方が強くあってほしい」「血筋やクリスタルに選ばれなくたって、みなし児でも農民でも、冒険に出れば誰もが主人公だろう」「否、現実はやはり非情である。気弱な親友はアサシンギルドに操られ惨死し、今度こそ自分の意思で動きはじめた主人公も結局マジックキングダムの良いように使われ、高い志から人々の為に戦った七英雄はその人々に裏切られ この世界に復讐するために帰ってくるのだ」
──おそらく多くのオープンワールド系ゲームとサガシリーズを根底的に別けさせている要素とは「君には自由があるが、世界は何一つ君の思い通りには動いていない」という思念だと思う。これだよこれ。
この「河津節」にこそ、何よりもの信頼と期待を置いているからである。
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まあ、「ラスボスを一旦様子見しようと思ったらそのまま倒しちゃって『はあ?』ってなる体験が最近続いているので、最後まで緊張がほどけないラストバトルをやりたい」というのも、それはそれであります。
等々。3つの項目を並べたというよりも同じことを3つに分けて話しただけのような気もするが、稚拙ながらも私にとってのサガシリーズを一応は言葉に起こせたかなとは思う。
あと変な話、オタクの会話とかで「分かる〜」とか言い合ってるのあんま好きじゃないんですよ。なんか身分証確認の作業ずっとやってるみたいで。「何で?」って言っていたいんですよ。サガはずっと「何で?」って言ってられるゲームです。
まあ、「まだ死んでないのでなんとかなる」とも言っておられるけど、本当に “河津みたいなゲームは河津にしか作れない” ので、勝手を承知で言えばまだまだゲームを作り出してほしいですよ。
#サガエメラルドビヨンド #サガエメ#TGS2023 ステージイベント観覧・視聴して頂き有難うございます。RPGだからこその楽しさ・面白さ、ビデオゲームとしてのビジュアル・アニメーション・操作性を、17の世界に散りばめました。5組の主人公を通して、それぞれの物語を体験して下さい。
— 河津秋敏 (@SaGa30kawazu) 2023年9月24日
あ、音楽
サガエメも引き続きイトケンさん(サガフロリマスターで新旧開発室の双方に顔を残していたのがおそらく河津とイトケンの2人だけだったの、流石に感慨深かったな)。サガシリーズの音楽と言えば植松御大は勿論、笹井さんも浜渦さんも、ラスレムらでの関戸さんなども頼もしいほどに強力なライバルなので (笑)、「やっぱイトケン流石すぎるわ」っていうような新曲を打ち上げてほしいですね。