2020.5.2の記 ~いろんなhideの曲振り返り~

hideが旅立ってから22年


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502093005j:image

 

僕の人生は彼と出会ってから回りだしたようなもので。といっても聴きはじめた頃には彼は既にいなかったんだけど。

今でもロック・ヒーローって言ったら自分の中ではこの人なんだなあって。

自分も歳を重ねていくごとにどれだけ凄くてどれだけヤバいお方だったのかってのはより一層リアルに響いてきたり。

 

某氏がhideをロックという言葉を当てず「ポップス・エンターテイメントスター」という言葉で語ってたけど、それもまた一つの正解だろうなとも思う。

常に自分の思う最高のロックスター像を貫き、ファンや大衆にも提示し続け、絶対にファンを、そして自分自身を悲しませないよう落胆させないよう真っ先に行動し続けたというhide。

いやあ、俺にはできねえなあって(笑)。そういう彼の姿勢のおかげで人生の半分以上を彼の音楽と一緒に生きてきたんだけど、今自分もそういう在り方が理想かって言ったらまた違って。でもhideはやっぱり最高のロック・スターだと思ってて、そういうエンターテイメントに振った “スター性” が今でも仲間たちやファンたちに愛され続けてる理由なのかなと思う。

『ロック』としても『スター』としてもぶっちぎってたな、やっぱ。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502094158j:image

 

ま、死後からのファンに語れることなんてこんなもんなので(笑)。

ともかく今日は一日hide三昧。聴きながら好きな曲のことでも書いてこうかな。

※筆者の語彙力のなさにより「カッコいい」密集地帯と化しております。カッコいいhideの音楽を側において読まれることをお勧めします。

 

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502095311j:image

 

CELEBRATION、Xというメタルを下地にしたバンドでこんなポップでキャッチーなパンクを成立させてしまうの本当すごいなと改めて思ったり。それはHIDEのセンスのなせる業でもあり、またそれを許容できるバンド作業の成果であり(あまりXってかYOSHIKIに対してそこまで穏やかではない私なんだけど、この頃のXは名実共に最高のバンドだったろうなと思うなど)。

なんと言ってもギターフレーズのキャッチーさね。HIDE曲なんかは顕著だけど、X通してHIDEの功績ってでかいんだなと思う。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502111312j:image

紅ギターソロの歴史   https://youtu.be/mZOsnPIwMV8

 

ここでToshIも語ってるように紅はHIDEの一声で主要曲に復活しギターソロはHIDE&TAIJIが大々的にアレンジしたという。見事にHIDEが加わった時からいかにもメタルらしいギターソロから大幅に変化している。こういうバンドメンバーの蓄積がなければ例えばサイジェラとかもああいうギターソロにはならなかったのではと思うと、その功績はあまりにもでかい。

 

中学の頃Love Replicaが弾きたくてJealousyのスコア買ったらHIDEからのコメントで「これを弾きたいと思う奴いないだろw」って書かれてたって話する? いやサイジェラよりStab me~よりとにかくこれが弾きたかったんだけど…。似たような話で「LUNA SEAのMOTHERのスコア買ったらSUGIZOのコメントで『こういうのがあってもいいけど、基本は耳コピだよ』って書かれてた」という体験もあります。

 

SCARS、ほんっとカッコいい。Xのカッコいい曲永遠のナンバーワンなんだよな。私的イメージだけどダークヒーロー!って感じ。詞は多分TAIJI脱退についてなんだろうけど。

hideの最高傑作っていったらピンクスパイダーが挙げられがちなんだけど、ことメロディライン・構成という面ではこの曲こそだと思う。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502162245j:image

SCHAFTが2015,16年に今井寿&藤井麻輝に加えYOW-ROW、上田剛士yukihiroという「ぼくの考えた最強の国内インダストリアルユニット」みたいな超メンバーでバンド編成したけど、そこにhideがいないの本当勿体ないなあとつくづく思う。96年より前でSCARSやzilchみたいなセンスを投下できる男がそこにいたはずなのに。

 

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502132527j:image

 

PSYCHOMMUNITY

まずこの曲とこの1stアルバムにはhideから少年・松本秀人に宛てた手紙が思い浮かぶ。

(画像は @old_school_vk様 https://twitter.com/old_school_vk/status/966692661460529153?s=09 より拝借)

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502144334j:image

紛れもない全てのロックキッズとロックミュージシャンに捧ぐべき一文。ずっとロックという「ワクワク」を探したり聴き返したりしてるのだろう。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502145039j:image

この曲、ライブのOP用に作ったのに「壮大すぎて恥ずかしい」っつって使わなかったってね。『WORLD ANTHEM』なXとの対比が面白い(笑) 。

「精神共同体(PSYCHOMMUNITY)」って造語、実は結構汎用性高いよな。特に現代。

 

DICEは正真正銘V系の生みの親であるhideからのザ・V系っぽい曲って感じ。ストレートに超カッコいい。ギターソロが鬼カッコいいけどその後ろで鳴ってるテリー・ボジオのドラムがまたカッコよすぎてどっちに集中したらいいか分からなくなるの最高すぎないか?

 

SCANNER(愛のデュエット?)が未だにアルバム入りしたことないという事実。何故。隆一側からNGは出さんやろってか隆一自身がちょくちょくhideのイベントに出て歌ってるくらいなのに(マジで音源化望む)。RYUICHIの歌声はインディーズ時代も若かりし頃も河村期も今も好きですというご立派な奴隷みたいな私だけど、でも「一番尖りがカッコいいRYUICHIの歌声は?」って言われたらこの愛のデュエット?だと言い張る。だから勿体ないじゃんね。

 

EYES LOVE YOU、原曲はポップすぎてそんなにだけどライブ版は淫靡で妖しくてとても良き。個人的にはHONEY BLADEと同じ世界観って印象。勿論作詞者も違うし本人の意図ではないけど、HONEY BLADEがB級ロマンスみたいな壊れた恋劇の叙事詩だとしたらこちらはそこに灯る叙情詩って感じ。

 

うーん耽美とか美学主義とか持て囃された時代にDRINK OR DIEを放り込むノリよ。「酔っぱらって、氷川丸を沈没させることだあッ!!」

 

DOUBT、私が初めて出会ったインダストリアル・ロック。心震えすぎてインダストリアル漁ろー!ってなったな。結局やや疎かになってるけど(笑)。まさに「ポップソングからコアな音楽への入り口」を作って頂いたのだ。ムカついてる時とかDOUBT聴くよね。

唐突だけど「魔界塔士Sa・Ga」のかみ戦ピッタリって感じ

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502143332j:image

Hey Gentleman!  そんなにそっちの水は甘いか?

Gentleman!  カビくさいダイヤでも喰らえf:id:franca_LEDIEFAHT:20200502135701j:image

木っ端微塵のchaos(生ける者のサガ)を喉に詰め込め

(何故突然BLUE BLOODと同い年くらいのレトロゲームを…)サガ信者なので…。神をバラバラにするにも相応しいヘイトアンセムってこった。

 

「核戦争後の誰もいなくなった世界でヒッピーの兄ちゃんと一匹の猿がセッションしてる」ってどんな世界観なの…(A STORY

 

BLUE SKY COMPLEXやっぱいいなー。ファンクなノリにhideにしては比較的ダウナーなボーカル。でもこの曲の真の骨頂はアウトロの長いセッションタイムよね。

 

OBLAAT! 多分1st.で一番好きだな。初めて聴いた時からツボ全押しだった。音よし、メロディよし、歌声すごい好き、歌詞なんかかっけー、アウトロの暴走タイム最高、でPSYENCE A GO GOのライヴバージョン見て全部持ってかれた中学時代。

それなりにライヴ行ったり見たりするけど、でも自分にとって「ライヴ」というものへの価値観を固めたのはやっぱり初めて見たPSYENCE A GO GOのフィルム映像だったなって。歓楽、暴走、ショータイム。予定調和お断り。それでこそのライヴ。

 

結局、hideがTELL MEに込めた思いって何だったんだろうなとちょくちょく考える。再レコーディングを予定したりするほど大事にしていた曲。

舞台で化粧をして華やいでも結局弱い自分は残っていて、時には自分が自分かも見えなくなって。自分が自分の歌を歌ってるのかも分からなくなって。そう書くと「ヴィジュアル系の裏のテーマ」って感じもするよね。

ラスサビまでの歌詞と、最後のDメロ歌詞にはちょっと距離があると思う。いわば “問題” と “正答”。ただ、その正答に行き着くまでの方程式はこの曲の中では触れられない。そういう憂いと見つけられないなりの希望を感じる。

Singin' my song, for me.  Singin' your song, for you. 

 

V系」という言葉もあるかないかで「美学系」などと呼ばれたりもしていた時代。そんな時代の、ここまで渾身の思いを詰めた自身のファースト・ソロアルバムの実質ラストナンバーが『50% & 50% (CRYSTAL LAKE VERSION)』なの最高すぎないすか。V系の生みの親・hideにとっては生きざまだ美意識だを強調する姿勢よりも面白おかしなエンターテイメントだったんだな。どちらが良いか悪いかではなく、キレッキレやなあ (笑) って。

 

でも、そんな1st.Album『HIDE YOUR FACE』にこそhideの94年時点での半生とも言うべきロックの景色が詰め込まれていたんだよね。それってすごい素敵な証明だと思う。カオスはそんな小綺麗にまとまるもんじゃねえぞって。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502142639j:image

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502145422j:image

 

限界破裂、カッコいいギターリフと歌メロ、ハードながらするすると流れていく曲展開に加えライヴの赤灯演出が本当格好いいんだよな。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502170730j:image

 

LEMONed I Screamはshameのトリビュートの方が実は好きかな。ついでに言うとPOSEもトラックとしてはCUTTさんのオサレなトリビュートが一番好きだったり。しかし優しい曲だよね。

 

hideの曲のカヴァーは(V系シーンを主軸に)ごまんとあるけど、未だにHi-Hoをカヴァーしたバンドがいない(はず)ってのがhideの異次元ぶりを証明してると思うの(いたらスイマセン)。

無駄だらけの そんな君の世界が好き

空回りでも 混ざらない君の魅力の勝ち

もし良ければくだらないボクらと踊りましょう

ぶっ続けで聴くとPSYENCEの歌詞は優しいなあw

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502170122j:image

君の宇宙で小ちゃな星ごと踊りだす  Hi-Ho!

 

FLAME本当好き。自分の中でロックバラードらしいロックバラードって言ったらずっとこの曲のイメージ。まさに光に対置する影のような優しさ、影や炎の揺らぎのような心地好さ。空間的でキーボードも入るライヴバージョンをよく愛聴しているけど原曲の歌声やっぱすごい優しいな。

 

Beauty & Stupidがクラブのノリとの融合で画期的だったというのは正直隔世の感で未だに伝わらないところある。96年の音じゃねえ!ってのは全編通して伝わるけど。

 

BACTERIAのMV、hideでは一番好き。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502162511j:image

今はマスクお洒落がニーズだからな!

「掃き溜めの鶴毟られ殺された」のどっかで言ってみたい感。まさにPOSEと並んで下らない世界へのヘイトアンセムって感じだ。

 

I.N.Aさんの本に書いてあった「GOOD BYEビートルズの現代版っぽいって褒められたけどhideちゃんも俺もビートルズちゃんと聴いたことなかった」って話好き。今井さんといいこれだから邪道ギタリストは。

私ももし何処か一人迷っても聞こえたなら軽やかに歩き出せるかな。いやそれで何とか今日まで生きてきたのか。

 

POSEは先に書いたようにCUTTトリビュートが大好きなんですけど、でも一番はXのHIDEの部屋コーナーのやつ。リアルタイムだったら最高だったろうなって。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502164922j:image

https://youtu.be/ZB1TSBFiA3E

未来人すぎんだろ

 

 

ある頃私は滅茶苦茶やさぐれてて、もう本当に何も信じられないみたいな時期があったんだけど、そんな頃の夜中に何となくMISERYのMV動画を開いた。そこの紹介テキストで初めて彼女も旅立たれていたことを知った。もう色んなものが重なって一晩中MISERY聴きながらぼろぼろ泣いてた。本当に。変な話あれ以来10年近く涙が出てないんだが、単なる不健康か、枯れるまで踊り尽くしたのかな。

全て受け止めて  この空の下で  君が笑う

シングルバージョンの方がギターうっさくて好きだな。BUCK-TICKの『キャンディ』『疾風のブレードランナー』と並んでポップス・ロック及びピースフルなロックの個人的最正解って感じ。

 

改めてだがこの名アルバム『PSYENCE』を3人かつほぼ2ヶ月で作ったのヤバすぎるでしょ。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502203858j:image

Junk Storyもこの頃に作られたという。歌の歌詞が、『兄弟』にも出てくる真由子さん宛の手紙ほぼまんまかな…。

真由子の歩調に合わせて歩いているうちに、ノイズがどんどん聞こえなくなって、昔のこととか、初めての東京ドームのこととか、忘れていたいろいろな『絵』が見えてきて、感動しました。真由子のお陰で、思い出さなきゃいけなかったいくつかのことが、頭に焼きつきました。ありがとう。」(Make-A-Wish Japanより抜粋)

あの日の物語 明日の歌に繋げようか

上の方に「TELL MEの歌詞には問題と正答だけで式がないかのよう」と書きましたが、某所で「Junk Storyの歌詞はTELL MEの精神的な続編であり回答」という読み方をされてるのを見ました。うん、そう読める。

ギターがやたらエスニックなファンタジー感出してて心地好いんだよな。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502191754j:image

 

そして『Ja,Zoo』へ

 

SPREAD BEAVER、出だしからカッコよすぎる。古い古くないっつーよりこういう音の組み立てしてる曲が他所で聴けないでしょっつう。それが “PSYBORG ROCK” と呼ぶところかな。

 

“自身にとっても深く辛い事態だったX解散に対し、「悲しませておくわけにはいかない」って即日ROCKET DIVEを発表し、尚且つ「こんな綺麗事歌うやつ信用できない」って自分で言い出してピンク スパイダーever freeで補完する”っていう責任感。一生見習っていきたい。責任感が生んだ名曲群。

やっぱROCKET DIVEのギターソロ、誰に何と言われようとこの世のギターソロで一番好きやわ。そして俺も真っ先にこれ弾こうとしたし。そういうキッズを全国に量産した時点で狙い通りだったんだろうな、多分。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502202836j:image

 

ピンク スパイダー、文句なしの傑作曲。へヴィなバンドサウンドと糸巻くようなデジタルが初っぱなから絡み合うサウンド。キリキリとキマっているようなAメロ~サビ前半、そしてバラードのように美しいサビ後半とフィニッシュ。それらがポップでコーティングしてまとめ上げられている。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502202748j:image

間違いなく傑作であると共に、「間違いなくこの更に先の境地まで行けたよな…」という “過渡期感” もまた思わされてしまう。

歌詞はネットという「切り取られた四角い世界」に溺れる時代への早すぎた暗喩。

サビ後半のバラードっぽいところはバラードっぽく淡く歌っちゃ駄目なんだよね。美しい旋律を瞳孔ガン開きみたいなテンションでがならないと駄目ですという厄介な私からのお言葉。数あるカヴァーでそこを守ってくれたのは何気にToshIだけだったなと思ったりも。

 

DOUBTはI.N.Aによるリミックスが施された『TRIBUTE V』収録バージョンと、2013年氣志團万博のテイク(hideのボーカルと今井寿森岡賢、Tetsu、J、HISASHI & 氣志團による演奏)が最高という意見。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502202557j:image

氣志團万博2013  https://youtu.be/XTHy2o3FMIY

DOUBTに乗るTetsuのやかましいドラムと今井さんの怪ギター完璧すぎでしょ。

 

ever free、10代の頃は「いいこと歌ってる風なポップな曲」止まりだったけど二十歳過ぎてから沁みること沁みること。ベタすぎか俺は。

消えてゆく最初のメロディー  何処でナクシタのだろう?

何処へ行きたいのだろう?

デタラメと呼ばれた君の自由の翼はまだ閉じたままで眠ってる

hideの当初の案ではこれをアルバムラストにする案もあったんだよね。そっちの方向で進めてほしかった。ということでマイプレイリストは大体ever freeがトリです。

 

BREEDINGはこのアルバム後半に相応しく音が(ついでにhideの歌声も)鋭くカッコよき。

この歌の歌詞聴いてるとジョジョディアボロとドッピオを思い起こすのは俺だけでいい。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502203241j:image

ムシ達と歩いて行こう  鬼達をかわしながら

本当は僕 買われているのか?

 

HURRY GO ROUND、女性ボーカルでも聴いてみたいな。坂本美羽さんとかどうなんやろ。NOVEMBERS

シューゲイザーカヴァーも良かったな。

 

 

 

では、

 

「日本のォ神奈川県横須賀市からいらっしゃいましたー松本秀人さんですぅ~張りきってどうぞー!」

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502220819j:image

 

あのタイミングでzilchがリリースされていたら、音楽の世界地図は変わっていたと思う」(J

順調にリリースできていればマンソンの『ANTICHRIST SVPERSTAR』より早かったはずだからね。

フジマキに伝えたという「SCHAFTが日本スタートでああいう音楽を始めてるから、逆に俺は海外発でやろうと思ってzilchを作った」も合わせて。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502221717j:image

それは邦楽と洋楽の間の分厚い隔たりが今日まで解体される、その前夜の話。

 

改めて聴くとSCHAFTの『SWITCHBLADE』の方が洋楽感強くてこのzilchの『3・2・1』の方が「あーでもめっちゃ邦楽のエッセンスだよなあ(笑) 」てなるのちょっと面白いな(笑)。まさに「アメリカにケンカを売るためのバンド」。

SPACE MONKEY PUNKS FROM JAPANなんかは超露骨にケンカ売ってるけど、INSIDE THE PERVERT MOUNDなんかでも「いや、でも当時の海外で通用するんかこれ?」って(勿論クオリティではなくつくりの面で)。全然言語化はできないけど、「アイデアの立て方が邦楽でしょ」みたいな感触。良い意味で場違いな音が散りばめられてるというか。でもインターネットが普及するなり日本の音楽が趣味な方々にはウケていったのを思えばつまりそういうことかな。

足上げたら痺れるなんて何考えてんのか全然分かんないよ。何でいっつもそんなこと言うの?

 

WHAT'S UP MR. JONES?』、デヴィッド・ボウイへの個人的な当てつけとも言われるこの歌詞。まさに地の底から喰いかかるダークヒーローって感じでカッコよすぎるんだ。

 

他のワークと被ってない曲だと、PSYCHEは鉄板か…。HEY MAN SO LONGとか好きだな。うねるようなデジタルノイズが心地好くて。

DOUBT、原曲よりこっちの方がギター歌ってるくらいある。

 

EASY JESUSこのアルバムのトリに相応しいくらい格好いいと思ってるのにあんま人気なさげなの何でや。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502233801j:image

 

 

先にも挙げたI.N.Aによるリミックス作品『TRIBUTE V』はマジでオススメの一枚。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502234704j:image

Squeeze IT!! も原曲の空気っぷりが嘘みたいにサイバーでガチカッコよくなってるから。そしてI.N.Aさん曰く集大成型のDOUBT。トリがOBLAATなのもあのステージを共に駆け抜けたI.N.Aさんならではだろう(笑)

hideソロ版CELEBRATIONも格好いいんだよなあ。ちょっと櫻井さんに歌ってもらいたいw

定期的にこういう作品やってくんないかな。

 

 

この曲を忘れるわけにはいきませんね。90年代国内音楽シーンの真の偉人達の本気がここに詰まってる。どうぞ。『SUPERSCHAFTRACK』。

https://youtu.be/kW9vtOumhRM
f:id:franca_LEDIEFAHT:20200502234830j:image

 

 

 

さーっと一日中聴き返して、思うのは、「彼の音楽と共に生きてきたのは自分にとって最高に幸福で、自慢なことだ」ってことかな。

BUCK-TICKともども。

 

https://www.instagram.com/p/B_roIW-Jrap/?igshid=1cirp2d97lv5p

 

 

Ladies and Gentleman, Boys and Girls.

  Life is still going on !!

絵画探索メモ1

その名のとおり古い絵画とかをネットで漁ってまわったやつのメモ。

Twitterとかではそういうの好きでタイムラインに流してるのですが、忙しさにかまけたりしていっちょん覚えないのでここで書いて貼らせて頂ければまあ覚えるだろうという安直でセコセコな試み。更新続くんか?

え? 好きな画家? とりあえずバンクシーとか答えといたらええかな…。一応シュレッダー事件前から追ってはいたし(追ってただけ)

 

 

ジョン・アトキンソン・グリムショー (John Atkinson Grimshaw)

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191106085127j:image

 

1836年9月6日~1893年10月13日。イギリス。

美しいー。夜想ー。
ビクトリア朝時代の芸術家。ラファエロ前派スタイル(乱暴にいえば「自然をありのままに再現すべき」的な作風)。

ゴッホらとほぼ同期。だがグリムショーの絵はすぐに売り飛ばされて正式に残されていないので公的に残ってるものはほぼないとか。文筆活動みたいなのもやんなかったらしい。無名の偉人感。

 

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191106085142j:image
f:id:franca_LEDIEFAHT:20191106085206j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191106085312j:image
f:id:franca_LEDIEFAHT:20191106085345j:image
f:id:franca_LEDIEFAHT:20191106085408j:image



ヨハン・クリスチャン・ダール(Johan Christian Dahl)

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315202855j:image

 

1788年2月24日〜1857年10月14日。ノルウェー

ロマン派の代表的画家だとか。

風景画は単なる自然の模写ではなく、自然の偉大さや歴史、その周りに生活する人々の息づかいなどを伝えるものでなくてはならないと考えていた云々。

デンマーク領がスウェーデンノルウェー二重王国になり民族主義の流れが高まると、そうした気運の中で民族的ロマン主義が勃興。ダールの風景画はそうした民族的ロマン主義の影響元とされ『ノルウェー風景画の父』と称される云々。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315203104j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315203120j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315203203j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315203214j:image

なんというか、空に優しみを覚える絵ですね。幼少から往年まで苦労や不幸を重ね続けたけど気遣いのできる人で、内向的なカスパー・ダーヴィト・フリードリヒのよき親友だった という逸話が何となく伝わるというか。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315203227j:image

 

 

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒはドイツのロマン主義絵画を代表する画家。この絵の人。f:id:franca_LEDIEFAHT:20200318224354j:image

やや過剰ともなりかねない愛国主義的姿勢や反フランス主義、神秘主義的傾向で政治的な面で批判を浴びる事もあり。死後にはナチスにも利用された。

早くに妹が亡くなり、また目の前で弟が亡くなる。それを助けることが出来なかったことで自身を攻め苛み、うつ病になり自殺未遂を起こしていたという。両親も早くに亡くしている。

ナショナリズムは御免被りたいが氏の作品から伝わる死の匂いはなかなか思うところある。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200318224425j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200318224442j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200318224537j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200318224555j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200318224637j:image

 

後年、病による麻痺で油彩画が描けなくなった中で仕上げたとされる遺作。
f:id:franca_LEDIEFAHT:20200318224721j:image

 

 

アルヒープ・イヴァノヴィチ・クインジ(Архип Иванович Куинджи)

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315191657j:image

 

1842年1月27日〜1910年7月24日。ウクライナ出身、ロシア。

蒼くて暗くて好きすぎる。

1870年に結成された「移動派」こと巡廻美術展協会(ロシア帝国専制政治批判などを取り組んだ芸術運動)の組合員。

初期のクインジはイワン・アイワゾフスキーの影響を受け、海に関連する題材を選んでいたが、1870年代の半ばに自然界をモチーフとした数々の風景画を生み出すようになった。自分の最も奥深い情感を自然界のありさまの輝きに置き換えようと熱望した云々。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315192225j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315191721j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315191743j:imagef:id:franca_LEDIEFAHT:20200315191906j:image

https://iskusstvo-jp.com/items/5c53e224787d84215f0a2f73  より


f:id:franca_LEDIEFAHT:20200315192041j:image

 

 

先達にあたるイヴァン・アイヴァゾフスキーは海を大半のモチーフに風景画を描き続けた代表的な海洋画家。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200316213025j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200316213057j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20200316213113j:image

 

気が向いたら気が向いた頃に続く。多分。

2019.12.29 BUCK-TICK『THE DAY IN QUESTION 2019』 in 代々木


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191230164650j:image

行ってきましたー。最高の最幸でした。

 

もうそのままベスト盤にしてしまえそうなハイテンションで大盤振る舞いなセトリ。古くはTABOOの曲から来年の新曲まで様々な時代の楽曲を網羅してきて、だからこそ一曲一曲の演奏に「ああ、今現在のこのバンドが最高なんだなあ」と実感するライヴでした。

 

序盤の『唄』と『獣たちの夜』、間奏あたりで金属をガンガン打ち鳴らすような裏打ち入ってましたね。ロクスソルスでは聴こえなかったと思うのでニューウェポンなのでしょうか。獣たちの間奏明け歌メロに今井さんがギターソロから繋げてコーラスのように被せてきてて、うあーどんどんカッコよくなっとる!ともなり。

 

聞いた話だと代々木体育館の会場で音を整えるのは結構大変らしくて、それをこうも音を壊さずにやりきるのは本当にすごいとか。体内が揺さぶられるようなリズムを発するユータさんとアニイ(※筆者はアニイが敬称だと思っています)にはライヴに来る度に感謝でいっぱいになります。

ロクスソルスがBUCK-TICKのエンターテイメント面極振りだったとするなら、今回のDIQはバンド自身の実力の塊というか、ストレートな「「「強い!!!」」」でした。

 

あと、改めてもなんなんだけどやっぱりBUCK-TICKってゴスバンドなんだなあと再確認したというか。

開幕夢魔は言うまでもないんだけどw、唄も獣たちも羽虫もドリーも絶界も改めてゴス的な香りを感じながら。『Snow white』のモノクロのディープな世界は心地良さみたいなのすらあったし。信頼と実績の『無題』〆くるし。アンコ2であの星野さん作名曲『ドレス』だし。

ゴスって書いたのは僕の勝手なニュアンスも込めてるんですけど、「闇」とか「ダーク」とか言ったらなんか邪で排他的でマイナスじゃないといけないみたいに聞こえちゃわないです? それだけではない、何というか ”幽霊が立っている普遍性“ とも言えるような、「在っていいんだ」「誰がいてもどんな曲が流れてもいいんだよ」っていうような闇より深い器のようなものに浸かってる気になる。それはBUCK-TICKのライヴに行く度に感じることだけど。個人的刹那的な闇というよりも真っ暗な大陸。「みんな一人ね」という僕達の共通項。世界は闇で満ちて云々。

 

中盤には懐かしのTABOO収録曲『SILENT NIGHT』。TABOOの音源ではまだまだ初期ーって感じのテイクですけれど、今回会場で聴いたそれは熟しきった歌声と世界観。そのしっとりした空気。

そしてそこからの軽妙なティンパニが鳴りだしての『Alice in Wonder Underground』♪  この2曲の流れがすごい気持ちよくて、その対比はまるで儚い祈りと奇妙な夢への招待、見上げていた少年から魔界へと招く案内人へ。とても良い物語でした。

 

これから発売される新曲『堕天使』はやはりライヴ映えしそうだけどグラムっぽくてややクレバーな感じ?のナンバー。とか書いたらなんか『HURRY UP MODE』浮かんできたけど。あーでもここでHURRY UP MODEの名前が出てくるのもまた面白いというか。いや「どこがじゃい!」って言われたらアレなんだけどw(メロディが似てるとかではないし)

 

 

久々の『独壇場Beauty』も嬉しかったな。ずっと定番だったけど2年ぶりくらい? このアッパーな追悼曲転じて生命への応援歌、”2010年代のBUCK-TICKソングで一番好きなのは?“ って聞かれたら結局これですってくらい大好きなんですよ。「死ぬほど楽しめ踊れ」のフレーズのままに。

そして『FLAME』と『LOVE ME』。本当BUCK-TICKでも指で数えるくらい大好きな曲なので、聴けたことが本当に嬉しかったな。どちらも本編とオーラスの締めという。ずっとライヴで聴きたかった2曲だったので、あとは『ANGELIC CONVERSATION』も行った時にお願いしたいですね(傲慢です、強欲です、ちゃんと行きます)。

 



f:id:franca_LEDIEFAHT:20191230212230j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191230212023j:image

来年のBUCK-TICKは『堕天使』に『PARADE Ⅲ』、FT限定ライヴツアーから始まり、夏にはニューアルバム、秋にはホールツアーで年末にはDIQ武道館と。

多幸に次ぐ多幸ですが、メンバーの方々には櫻井さんの先日ラストMCをそのままお返しするようですが是非とも「ご自愛ください」です。来年も受けとれるまま楽しんでいきたいです。

幽谷霧子に関するメモ1:霧子という光が鳴る

遅ればせながらシャニマスをやりはじめまして。

まだ全員プロデュースしたわけじゃないんだけど、幽谷霧子ちゃん


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191129094444j:image

 

 

衝撃が凄かった。彼女を構成するあらゆる要素が全弾自分に直撃したような。ええ。

 

あまりに一個一個が刺さりすぎて全容を掴むのに混乱してしまったので、このページは「自分の見た霧子」と「まだ見えていない霧子」を整理することを目的としたメモ。まだ一枚しかプロデュースしてないけど(しかも優勝できてない。Daだと一回しか優勝できておらず。つらい)。

 

プロデュースしたカードは【霧・音・燦・燦】。サポートカードも数枚見てるけど、やはり本題はプロデュースカードの方なのでそちらを主軸に振り返ります。

 

 

えー、基本的な情報のコピペ。

ミステリアスな雰囲気を醸し出す銀髪の女の子。儚げな雰囲気とぐるぐると巻いた包帯が特徴的。口数は少ないが、心優しい性格。高校2年生。

アンティーカというV系みのあるアイドルグループに所属している。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191129175151j:imagef:id:franca_LEDIEFAHT:20191129175009j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204094555j:image

早いわ。もうちょい待って。最後にやるから。

 

 

 

1. 霧子の成長物語


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191129094012j:imagef:id:franca_LEDIEFAHT:20191129094136j:image
f:id:franca_LEDIEFAHT:20191129094156j:image

気弱な少女が少しずつ勇気や自信をつけて成長していくという、アイマスや引いてはこの手のシミュレーションゲームの定番であるだろう要素。定番だけど何回触れても好きなやつ。

ただ、「弱気な自分から成長していくアイドル」といえば同作に大崎甜花もいて、彼女の方が分かりやすくそれ系のタイプだと思う。霧子は弱気や臆病より先に、空白感や感情表現の薄さが前面に出ている印象。それは何故なのか、実際に感情の起伏自体も薄いのか、というのは後述。

ともあれ、霧子もアイドル活動を進めていくうちに豊かな感情表現や自分自身で導きだした目的を手にしていく。

 

 

身につけている包帯や絆創膏は弱気な自分へのお守りみたいなものだとか。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128223309j:imagef:id:franca_LEDIEFAHT:20191128223419j:image

 

……文字通りの彼女の ”背負っている傷の証“ なのかもしれない…。

 

 

 

2. 霧子の優しさ


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128225755j:image

競争の世界には優しすぎる霧子の性格。女神。

 

経緯は謎だが病院でのお手伝いもずっとしているという霧子(この設定気になりすぎるわ)。そんな霧子の優しい性格は作中でもプロデューサーや他アイドルからも度々言及されるほど。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128223834j:image

いやに具体的な名称も出てきたり。

 

 

こちらは共通シナリオより、霧子がお手伝いしている病院の近くでイベント出演した際の話。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128210615j:image

 

病院の関係者や知り合いの患者さんなどに暖かく迎えられながらイベントに出演する霧子。

だがそのステージの最中、子連れのお客さんの赤ん坊が大きな声で泣き出してしまう。あわやステージ中断かというその時、霧子は──


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128211428j:imagef:id:franca_LEDIEFAHT:20191202215812j:image


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128211445j:image

 

貴すぎない?

お貴いとか高貴とかは本来こういう人のためにある言葉だろうってなりません? なるんだよ。なったわ。

これが常設の共通シナリオで毎回見れるの強すぎるでしょ。限定シナリオって言われても疑わんわ。

 

 

 

3. 霧子の献身

 

先の紹介でもその一端が垣間見れたが、霧子はかなり献身性が強い。強すぎる。献身性の強いと書くと異性関係ばかりフィーチャーされがちかもしれないが(特にこういう作品は)、霧子はもっと、まさに万人に対してのそれだ。

そしてそのナイチンゲールの写し絵のような性格描写は、シャニマスにおいてはファンやアイドル仲間に、そして彼女が育ててるお花さんたちにまで向けられる。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126131146j:image

 

単なるお世話大好きっ子というより、なんというか ”献身の裏にある覚悟“ みたいなものが節々に垣間見れると思うが、皆さんはどう思われるだろうか。少なくとも単なるお世話大好きっ子だったら私はさして注目していない。

そして霧子の献身性の強さは、自らへの評価の低さや虚ろさと表裏一体のようにも受け取られる。

そういや「最近の若年層は元来『反抗期』として表出させていた心中と現実の溝を『ボランティア』という形に代えて表出する様が見受けられる」とかいう記事読んだな。どうしようもない虚無感や自己否定からの脱却を社会奉仕によって行おうとするような、知らんけど。

 

 

 

4.霧子の霊的なスピリチュアル性

 

はい本題。

「プロデューサーさんは……エビさん……ですから……」はまだ自分で見てないので置いておくとして、おそらくその辺りの描写に代表されるであろう、霧子のともすればサイコホラー的とも言えるような霊的、妖的に近い側面。最初にゲーム中で見た霧子コミュも不思議の国に迷いこむ白昼夢のようなサポートカード【霧・霧・奇・譚】だったので最初は「妖の類いみたいな子だな」とか思ったのだが、プロデュースとして覗いてみるとなるほどほんの少しずつ輪郭が浮かんできた。

 

こちらはプロデュースカード【霧・音・燦・燦】の専用コミュより。

仕事の途中で教会の礼拝堂に立ち寄った二人。先に中を覗いてみたプロデューサーの「入りきるまで目を瞑ってて入ってから目を開けるとすごい」という異様にノリノリな行動を実践してみる霧子。礼拝堂に近づくたび瞼を越えて強く射す光。そして目を開けた霧子は──


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128212742j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128212800j:image

 

誰もいない静かな教会に立った霧子が口にした「音がいっぱい」という感受性や語彙力は妖というよりもまるで幼い子どものそれだ。教会の光を「ずっと前におばあちゃんと見たねぶたのお祭」と重ねるところもさもその時代の記憶を鮮明なまま残しているかのよう。

そこから「とっても綺麗で力強くって」「いろんな人のお祈りとか気持ちが混ざって光ってる」とすらすらと導き出す霧子の回路は本当に尊い。個人的な話、私がずっと失くさないように 失くしたのを取り戻すように必死になっていた ”多感な感受性“ をさも当然のように雫してくれる。ああ言葉が出ない(限界)。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128222640j:image

このイベントの名は『きこえる』。そしてステージで発揮する思い出アピールの名は『光が鳴るから』である。尊すぎか?


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191129094555j:image

 

こちらは同カードの専用イベントにおける会話。夜空に浮かぶうさぎ座を見ながら


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126112130j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126111829j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126111917j:image

おかえりだぞ。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126112148j:image

 

霧子もいってらっしゃいだぞ。

 

この2つ、1つめはたらっと教会を覗いてきただけだし2つめは星を見てだべってるだけである。それだけでも霧子は単語ではなく中身で豊富な言葉を語り、ふわっとした表現ながら聞き手の心に滲み広がらせてゆく。幸せだな。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128230442j:image

雨の日、育てているサボテンさんを急いで屋内に入れるくだり。心配する霧子をなだめるプロデューサーを逆に気遣っての言葉。

俺はいつまでもそんな言葉でものごとを伝えられる人間でいたかったしそんな言葉を語る人とずっと一緒にいたかったよ…(辞世の句)。

 

霧子の霊的な世界は、覗いてみればまるで小さな子どもが口にするシュールな夢のような世界だし、それは児童文学のようにわかりやすく心に語りかけてくるかのよう。そうだろ?

 

 

 

5. 霧子に浮かぶ陰


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128224939j:imagef:id:franca_LEDIEFAHT:20191128224953j:image

 

霧子のうつろな性格と前面に出すぎているとすら思える献身性は、その実妙な空虚さ、もっと踏み込めば傷の匂いのようなものすらほのめかす。それが何に起因するのか、ただの思い違いか、霧子の背景を私はまだ殆ど知っていない。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191128224307j:image

包帯の下に隠してきたものもファンのみなさんに見てもらいたいという言葉も出てくる。それ自身は彼女の成長の証明だが、その包帯の下に隠してきたものとは何なのか、何故隠してきたのか?


先にも触れた霧子の感情の起伏という話。霧子は感情が乏しいわけでは決してないというのはこれまででもよく分かるだろう。感情の乏しい人間からこんな豊かな表現は生まれない。

霧子は、想像によるところも入るが、豊かすぎて繊細すぎる心の内を普段表には出さないように隠しているようにも見える。

それこそ、溢れだしてしまわないように包帯の中にくるんで塞いでしまったかのように。「僕の奥に鍵をかけた。痛みとかいろいろ閉じこめた。」とはPlastic Treeの歌詞。

もし、その包帯に閉じこめたものを少しずつ開いていこうとしているのなら、それはなんて素敵なお話だろう。血にまみれた愛だけがそこに云々とはBUCK-TICKの歌詞。

 

 

 

6.霧子とアイドル活動

 

これは霧子がW.I.N.G.本選で敗退した時の会話。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126112549j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126112625j:image


霧子のいう「誰かに楽しんでもらえれば」の「誰か」とは? 単に抽象的なイメージなのか、それとも具体的な誰かなのかは今は省く。

 

シャニマスというゲームを見ていて一つ鼻についていたのが、あくまでオーディション優勝が目標であること。私はそういう競争めいたもの自体に関心がないので。

だが霧子は、自信に欠ける最初の頃は勿論、W.I.N.G.本選になっても悔しさの表明もそこそこで殆ど勝敗に関心を示さない。持ち前の献身さは、彼女を「誰かを、いや目の前のみんなを楽しませる」ことに没頭させた。自分からすればシャニマスというオーディション物語に対するパーフェクトな回答だった。これがPが「いや大切なのは楽しませることだよ」とか言ってたらはいはいって感じだっただろうが、霧子という人格に裏打ちされたそれは根を張って鋭く、オーディション勝負という枠をハナからはねのけ『遠いところ』まで行けるほど強い力を持っていた。

 

 

尚彼女のポテンシャル


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191126115901j:image

意欲とポテンシャルの塊である。

 

 

 

7, 空想:霧子とこの世界

 

初めて霧子のプロデュースを終えた夜、ぼーっと考えていたのが「霧子は何故この世の中であそこまで純真なままなのだろう」「霧子はいずれ、(作中ではありえないとしても)世の荒波に揉まれる中でその純真さを失ってしまうのではないか?」「もし霧子がその純真さを失わずに居続けたら、彼女は周囲に何をもたらすのだろう」などということだった。

私からすれば霧子が持っているような純真さなどは本来雪のようにあっというまに溶けていくもので、そうならないだろう霧子を思うとまるで溶けない雪を見てるような気分になる。いつまでも溶けない幻想性、不思議さ、いやもうすぐに溶けてしまうんじゃないかという不安、その美しき。

 

Tourbillonの楽曲『アゲハ』。もう死に絶えようとする世界を見つめながらそれでも果敢に生きようとするアゲハ蝶を描いた歌。

もしこの曲を題材に物語を綴るとしたら、霧子には是非そのまま主役のアゲハ蝶の役を与えたい。例えば他のあの子やこの子だったら自分は蝶の役には振らない。人の世の無情や紛争にきりきり舞う役からあてていくだろう(本来的にはそういう役どころの方が好きになりがち)。

モノクロの世界にほんの小さくもひらひらと色を散らして舞う蝶の役は霧子などによく似合う。ということをしょっぱなからぐるぐる考えたりしたなあ。

 

 

そんなこんなな私の霧子から受けたファーストインパクトをまとめたメモ。7項目。計ざっと7発か。散弾銃かよ。

しかし改めて見せ方が上手よね。ひとつひとつ。病院のお手伝いまわりを敢えてぼかすとか流石に想像してないわ。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204212737j:image

この言葉については色々と心に引っかかったが今の私から述べることは不可能なので保留。

 

 

 

それじゃ、いつものやるか灯織。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191203223716j:image

幽谷霧子に捧ぐやつ。

 

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005624j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005642j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005700j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005733j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005917j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005757j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005929j:image

いつものフルバーストやめろ

 

 

下は初プロデュースの後勢いでプレイヤーひっくり返して「歌詞はこれだな…」って直感的に選んだの。上のメモを読み返してもまあまあやはりそうかと思うなり。そんなことばっかやってんなこいつ。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005832j:image
f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005816j:image

 

 

さて、どんどん脱線していくのでいい加減この辺で。草々。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204005857j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20191204010649j:image

 

 

追記:ようやくTrue End達成しました。文字通り「感じるかい 僕の声    感じてる それは愛」そのままの内容で俺が一番びっくりした。愛だけがそこにある。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20191217115119j:image

 

 

Ayasa Theater ep12 ヴァイオリンロックを聴いてきました。

先日はヴァイオリニストAyasaさんのソロライヴに参加しに白銀高輪SELENEまで行きました。

 



f:id:franca_LEDIEFAHT:20190924212153j:image

http://www.ayasa-violin.com/#id9

 

ちょっと前にTwitterで路上ライヴで演奏されてる姿が流れてきて、スタイリッシュなハイテンポサウンドに全身を大きく揺らしながらヴァイオリンを弾いてる姿に魅了され、この度是非是非とライヴに。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190924212252j:image

 

 

ライヴが開始するとAyasaさんが一人ステージに登場し最新アルバム曲ラッシュを。ヴァイオリン以外は完全に音源をそのまま流してたので「あれ?そういうステージなんだ」と思ってたらメドレーからそのまま『唐繰坂殺人事件』に流れ込むなりバッグバンド登場!という流れ。

これ、狙ったのかはともかく完全に騙されました(笑)。アニメや所謂オタクカルチャーとも正統なメジャーロックバンドとも両方と繋がってる方なので、「え?どっち?こっち?」ってなってたらバァーンとバンドサウンド + ヴァイオリンのステージが本格開演してきたんですね。おぉーってなった(笑) (第一部のときなんか妙なタイミングで前方の客が沸いたのはバッグメンバー入りの歓声だったことに第二部目で気づいた)

 

 

印象的だったのは、MCのときずっと手はヴァイオリンの指板辺りを拭き続けていた姿。「拭きながらですいません笑。今日湿気凄いね」とか言いながら(台風が近くを通過してたしね)。500人弱で埋まるくらいの会場に、一本のヴァイオリンを時間を見つけては自分の手で何度も何度も丁寧に拭く姿。激しく動いた後でやや息を切らしながらのMCを乗せて。そしてまた優雅な音と姿を鳴らす次の演奏へ。

うん、すごい手作り感。

演出もスクリーンとあとはせいぜいライトがチカチカ光ってるくらいだし(ライヴセットなんてそれで十分、十二分とも言える)。そこだけでも「良いもの見てるなー。このタイミングでしか見れない姿なんだろうなー」って感じがして。貴重なワンシーンに立ち合ったような(のかどうかは、まだ分からぬ話)。

 

 

そして今回最も来て良かったと思わせてくれたのが、ライヴ中盤。

MCのおおよそが会場を盛り上げるための砕けたトークを占める中で、すっと、

 

「きっと、この中にも、悩みとか不安ごととか抱えてる人が、たくさんいらっしゃると思います。そんな人たちに、前向きな気持ちになれるように、何か届けられたら、という思いを込めて次の曲をやります。
SWAN SONG

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190926133119j:image

https://youtu.be/mQInVdUYky0

 

(上の言葉は記憶を元に)

 

Ayasaの曲を最初に聴いてみたその日に「いいな」と思ったバラードソング。その曲の、こういう言葉を添えての演奏。

 

ともすれば、言ってることは当たり前のことで、人前に立つ演者なら大概の方が多かれ少なかれ心に刻んでるような言葉で、いちいち言わんでもいいという人もいるかもしれない。

でも、いちいち言われないと忘れてしまいそう、私達が忘れようとしているようなことかもしれない。

 

それにそうして届けられた『SWAN SONG』には言葉はないからね。インストゥルメンタルだもん。歌詞の一文字もない。

歌の歌詞とか何度も噛みしめるところが私にもあると思うし、ともすれば言葉にすがりすぎかなと思ったりもする。でもこの日演奏されたSWAN SONGや一曲一曲には一つの歌詞もない。“白鳥の歌” と題されたこの曲から一体何を受け取ったのかは結局のところ人それぞれ。ただ、この曲を演奏している時のAyasaさんの顔の周りだけ空気が凍てついてるかのような真剣な表情は、よく憶えてる。

 

この曲の後はラスト〜アンコールまでずっとノれる曲が続いて白熱と喝采の中でステージは幕閉じ。そういうステージの中での一瞬でした。

 

 

基本、私が今まで参加したライヴって出演者のキャリアも長くてこちらも長く愛好してるバンドとかなので、ステージはその時その時の集大成でその後に先を見るものだった。

でも、この日の500人規模のステージは私は先月知ったくらいでの初参加、Ayasaもまだまだこれからというところ。お互いに序章のようなもの。初参加の私と、演奏の合間に楽器を自分でせっせと拭いている推しがいるステージ。

こんな始まりや未来をひたすら指差すように楽しんだライヴは初めてだったかな。よかった。

 

 

いつかドームのような空間で、バンドサウンドとヴァイオリンの音が反響するような響きを、聴いてみたいなあ。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190924213544j:image
f:id:franca_LEDIEFAHT:20190924213558j:image

 

僕の箱庭に敷き詰めたキャンディ

初めて聴いたとき衝撃が走った歌詞、

「面白い!」とか「刺さるなぁ~」というよりも「私の精神史はこれ以前と以後で様変わりします」みたいな歌詞、ある人はあると思います。あるかな。

 

 

私にとっては、BUCK-TICKの『キャンディ』


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190812202651j:image
https://youtu.be/ssXQLCHwn0U


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190812202737j:image

f:id:franca_LEDIEFAHT:20190812203941j:image

 

96年に発表された楽曲。私はその時はリアルタイムじゃないので、その10年近く後の中学時代に手にとったベスト盤『BT』でこの曲と出会い。

 

終末感とか、退廃美とかデカダンとか、ありふれた言葉でいうとそういうことかもしれないけど、とにかくはっと気づかされるような気持ちになった記憶。

 

これはキャンディだけじゃなくBUCK-TICK全体が自分にとってそうなんですが、

「知らなかった世界」や「新しいショック」も勿論どんどん提供してくれるんだけど、でも第一に感じるのは「俺が求めていた世界まんまじゃん」みたいな感触。まんまとまで言ってしまうのは欲がなさすぎるかな(笑)

新しいピースをくれるという以上に 探してたピースを持ってきてくれるのが一つにBUCK-TICKというか。

 

そして『キャンディ』もまた探してたピースだったんです、当時。

 

 

何もないかのように感じてしまうこの視界にも真っ赤な花は咲くし、

きっと心は手足を目を使い道なくした先で誰かに触れる

(ここおそらく国営放送禁止ポイント)

 

空白感とかそこからの脱却とか、そういったものを一つの “世界観” として提示してくれたのがキャンディでありBUCK-TICKだったんですね。

RPG脳だからゲームのフィールドBGMにしたいもん、この曲。

 

 

この前ツイートで見かけて「なるほど」っと思ったのが、このキャンディの一つ前のシングルであり、怪作アルバム『Six/Nine』の実質ラストナンバーでもある『見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ』。

あの曲とアルバムから一気にポップになったなー、というのもありますが、

腐った世界のネオンを見ながら「真実を知るには ここにいてはいけない」と歌った次に、このキャンディでは「目には見えない全てを真実とした」「目をなくし心があなたの胸に触れた」ともろ真実に触れてるんですよね。

その相互関係みたいなのは今語りきろうとはしませんが、この180度近い振り幅のデカさとそれでも揺るがない一本軸の強さこそBUCK-TICKの本領でしょう。

 

 

毎回ベスト盤収録はシングルバージョンですが、『COSMOS』収録のアルバムバージョンはこれでもかというほどノイズたっぷりで曲の荒廃感を200%底上げしています。荒廃なんだけど優しげで露骨な痛々しさはないのがこの曲の魅力(耳は痛いかもしれないけど)。私はキャンディと言ったら完全にCOSMOS仕様。

 

サビメロもいいんだよね。言う人に言わせればこの頃くらいまでのBUCK-TICKは「良くも悪くもサビが盛り上がらない」だそうですが、だから僕は好きなんだよねー、とか。元々そのサビ作りでおっと引っかかったのが最初でもあったし。

よく「今井寿のメロディは独特すぎる」と言われるけど、BUCK-TICKばっか聴いてるとむしろ他の曲に違和感を感じてしまうというか。「何でこんな無理してサビ盛り上げようとするのだろう」ってなるとか。ならない? 私はちょっとなりがち。

 

 

そんなこんな、勢いで書いたキャンディ話。

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190812212241j:image


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190812212320j:image


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190812212333j:image

 

 

キャンディの詞は箱庭療法(※箱庭に好きなのを入れさせて自己表現能力を促す云々)をモチーフにしているとか。

僕の箱庭に敷き詰めたキャンディはどれも口当たりがバクチクするのです。

『神の棲む山』 当て屋の椿感想録(5~6巻)

愛しとるのです

 

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190801165626j:image

当て屋の椿    5,6巻収録    『神の棲む山』

 

ツキが悪い。そんなことが長屋に続くある日、椿の営む当て屋に見知らぬ少年客がきていた。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190802062346j:image

少年・茜は「突然姿を消した友達・八重を捜してほしい」という。茜の住む山を取り巻く怪事の物語。

個人的に自分が既読している中で一番か二番に好きな物語です。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190801165652j:image

 

 

ミステリーものですが考察・回想もろもろ思いっきりネタバレしています。ご注意下さい。

 

 

 

・怪異

 

まずこの物語に登場する8つの怪異を振り返る。

 

  1. 長屋で連続するツキの悪い出来事。
  2. 山道で突如誰かが消える神隠し。そこに現れる白鷺の存在。
  3. 長屋にて、屈託なく笑う茜の足下に転がっていた殴り殺されたような野良犬の死体。その死骸に残る大の男の手より大きなたくさんの拳の跡。
  4. 茜の父の傷ついた左目。本人曰く「俺の誇り  俺の活きた証」
  5. 山下の村の人々。「あの山は呪われてんだ」とひょっとこを被り山を鎮める祭りを行っている。「茜」という名前から「山の子供」と導きだし突然鳳仙に「あんた  ワシ達を責めに来たのか」と集団暴行を加える。語られる「十年前」という言葉。
  6. そして姿を現す、大きな大きな拳で村人を襲う歪な大男の影。
  7. 山の一軒家にて、既に死に土の臭いを放っていた茜の家族。
  8. (後述)

 

やや区分が細かいかもしれないが、複数の怪異が同時進行的に現出し一連の「理屈」へと結びついていく『当て屋の椿』の分厚さ(長さに非ず)がこの物語にもよく現れている。

 

 

・その怪異の「理屈」を繋げて見てみる。

 

山に棲む茜の家族は金屋子(かなやご)神を祀っていた。白鷺に乗る金屋子神は人々に鉄の技術を教え、『たたら』という鉄を作る技能集団の祖神とされたという。茜の家族もたたらの一族なのだろう。たたら師は猛火の光を見続けるせいで隻眼になったりする。茜の父もそれだ。(4)

たたらは鉄が沸かない時、亡き技師長の死体を掘り起こして炉の柱にくくりつけるという。まるで土から金を沸かせるお呪いのように。死の穢れを善しとする神であり、茜家は屍は遺された者の糧とするのをならわしのようにしていた。なので茜の父も、茜も、死にかけの子持ちの犬を前にすれば親犬を殺し、仔犬達の糧とさせた。(3)

たたらの技能は水を汚すため、下の里とは決して相入れなかった。山下の里村の者達は古くから山を恐れており、後からやってきてその山を支配しようとする茜の一家は何かにつけ疎ましかった。

……山の一軒家には美しき女(茜の母)がいると知った村の者達は、ひょっとこの仮面で顔を隠し茜家を襲撃する。翌朝帰ってきて惨劇の後を見た茜の父は、幼き茜以外のボロボロになった我が家族を皆殺しにする。

「ただ ただ 愛しとるのです」

そして茜の父も自ら命を断った。「茜    お前に唯一つ残すは    その命」    それが十年前の出来事。(5)

茜は父の教えにそって自死した父の骨を持ち歩き、それを己の身体にくくりつけることで歪な大男と化して力を得ていた。(6)(3)

f:id:franca_LEDIEFAHT:20190801170221j:image

 

山は大石の落下が続いており、しかも下の土が随分弱い。なので人の上に落下すればそのまま人ごと地面の土に埋もれてしまい、「まるで元通り」の山の姿になるのだ。(2)

そこに何者かの意志があるかどうかは読んだ人の解釈に預けたい。

 

 

終盤のクライマックス

については、そのまま触れるしかないだろう。

 

茜は不意を突かれ村の者に斬り殺される。村の者達は怒り喚く鳳仙と椿を尻目に、全てが終わったと山を下りる。「これでもう山を恐れる事もない」「祭りをせんといかんからの」。

白鷺が一斉に飛び立つ。崇める民はもういない、もうここに神はいないと言わんばかりに。

ここで、椿から最後の問いがなされる。

 

    8.  十年も前から崩壊を始めた山、何故村の者達はそんな場所の下にずっと棲み続けているのか?

 

    今までのすべてを呪いだと折り合いをつけ、事実が呪いへと擦り替えているからだ。(8)

    人は己の範疇を越えたものを己の心の安寧を保つ為に己の都合で理解する。(1)

    歪な大男の存在も、山で続く神隠しも、ともすれば茜家に巻き起こした惨劇も、全てが山の呪いであると。

 

祭りの太鼓の音に刺激されたように、山が一気に崩壊し崩れだす。祭りを行う村の人々ごと大きな雪崩に飲み込んで。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190801170912j:image

誰かの標を辿るかのように、茜家族が棲んだ山の家だけが残った。椿と鳳仙、鳳仙に担がれた茜の亡骸は、白鷺の群れを追った末そこに辿り着き、一難を逃れたのだ。

 

鳳仙に懐いたように屈託なく笑う少年だった茜。こんな復讐のために、お前は在ったのか?  頭を打ち付けながら茜の亡骸に問う鳳仙。ふと、岩壁が崩れ、一人の少女が姿を現す。

「…八重だね?」  椿の問いに少女は頷く。

茜が話していた友達、「一人で居た俺の所に やってきた」という八重。八重と共に過ごした日々。思い起こされる、「八重は俺が守るんだ」という茜の言葉。

 

 

これが望みか    茜

この為に生きたと言いたいのか    茜

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20190730213302j:image

 

 

・雑感

 

始まりは人の理屈。だが歪んだ理屈は怪異として姿を現し、理屈が解かれてもなお怪異として暴走し続ける。そして暴走の果てに破滅にまで至った末、最後の最後に “人” の姿に還る。人の心の物語に。

これぞ当て屋の椿のメカニズム。その怪奇と心を反復する作りは圧巻に尽きる。

筆者の敬愛するゲームクリエイターの言葉に「実際に起きたことが歴史に変わり、歴史が伝説になり、神話に変わっていく。その境界線を舞台とすることで、現実と非現実の間を行き来して、ファンタジー感を作り出している」とある。冒険モノRPGと怪奇ミステリーという差異こそあれど、その言葉を思い出す。普遍的な心のリアルと神話にまで遡るロマンを見事に繋ぎ合わせ物語を広げて見せる。

 

 

 

『山に棲む神』の物語は、一つには茜の愛の物語だろう。和気藹々とした家族を失くし、その屍を糧とせよと生きてきた茜。そこに現れた八重という友達。あの日母を苦しめたひょっとこの仮面が、村の者達だと気づいたその時。 

  「八重は俺が守るんだ」    誰から?  自分の身を脅かした何かから、この村から、村が謳う「呪い」(──そういった村の在り方)から、ではなかろうか。

愛を奪われた茜という少年が、愛を守ろうとしたお話。そう、茜は結局愛を「奪われた」のだろう、屍を物として与えられても、最も大切なものは糧にすることも出来ず。そしてその大切なものをこそ八重から貰ったのだろう。

 

とは言え、この物語、引いては当て屋の椿という漫画にそういったお涙溢れる感傷は出てこない。やはり「無情」という情がよく似合う。言葉にならないという言葉が鳴るような、心の何処かに捉えれない何かがすり抜けるような感覚。当て屋の椿とはそういう漫画だ。

 

 

そういえば、八重の出自についてはまるで語られていない。村の娘なのか、別の所からきたのか。そこはちょっとセコいなと思う。

 

 

・言葉

当て屋の椿には、物語の端々に心にふと残る言葉が織り込まれている。上までの項にもいくつか載せているが、他にも幾つか心に触れたものを載せたい。

 

…という項目にしたかったが、書き終えてみれば「茜が神になる過程とその中身について」の話ばかりになってしまった。まあいいか。

 

 

歓喜であれ 狂喜であれ 作り物であれ  笑みには己が存在する    本当に恐ろしいのは その笑みを その己を その血肉を  違うだろう そうではないだろうと 引き剥がされた時」「それでも人は  己でいられるのだろうか」

 

茜の違和感を覚えるほどに屈託のない笑顔、それが剥がれた先はまさに怒りや嘆きの表情だった。すべてを失くしても「強く生きよ」と生きてきた茜の結果がその分厚い笑顔になった。

大抵の創作物において「己」とは仮面の下の本性を指すことが主だが、当て屋の椿はその上に被せられる歓喜や作り物すら「己」と称した。そしてその仮面の下の素顔をいつしか自分自身が見失ってしまうことを。

マイナスな表情をも「己だから」と許容できてしまう人は思ってるよりも少ないが、筆者はそういう者が好きだったりする。

 

 

「どんな恨みも祟りも 神なら祈れば許してくれる    けれど人は許さない  許せない    それならば  神と成ってもらうしかないだろう」

 

この物語においては茜家族に対する村人達の回答のようにこの言葉が提示される。茜が人である以上、彼は村人達を許せないし現に許さなかった。だから村人達は茜家族(への不安)を「神」と片づけた。あの山の呪いであると。崇める民の想像から神は創造される。

茜の父もまた、茜を我が身を捧げるべき神とした。それに対する茜の想いが直接語られはしないが、一般的な「人の理屈」から逸脱したものではあるだろう。咄嗟に我が身より大切な人の命を優先したという話は現実にもままあるが、それを共同のルールとして徹底することは私達から見れば危うく末恐ろしい。実際それが恐ろしい決断だからこそ、「神の下のしきたり」という形で疑問を持たないくらいに徹底されていたのだろう。

村人が茜を神にし、茜の父もまた茜を神とし、そして白鷺が山が茜の存在に呼応するように動いた。というのも、この物語の大きな怪異。

 

思えば「理屈」を解き明かすことが命題である当て屋の椿と、様々な手に負えない事象から(それが自分自身で汚した己の手であれ)「神」だ「ツキ」だ「しきたり」だと目を閉ざす登場人物達の姿は真逆の有り様である。どちらを是とするか、正しいかなんて話はする気もないが、漫画『当て屋の椿』はドス黒いほどの人の理屈に向き合う「理解」の側に根を張った作品だと思う。

 

──少なくとも八重と鳳仙は、茜に人として寄り添い共にあっただろう。そして茜の「八重は俺が守るんだ」という言葉には、誰かを神に仕立て上げるような無責任さはあっただろうか。

 

 

「里になんて下りなければ  俺がずっと子供で 何も気づかなければ    俺を咬む全ての歯車が 害をなす    ああそうか  俺が欠けていればよかったのか         俺の空はこんなに  歪んでしまった」

 

多くの僻みがちな読者の共感を呼んじゃいそうなこの言葉。

神と扱われど要は「厄災」。敵意や嫌悪を意識したとき人は「俺がいなければ」と自己否定に陥る。ある意味、茜父の “自己犠牲” への意趣返しかも。

 

 

「盛れ 高まれ 昇れ    神よ    この死肉を持ってゆけ」

「継ぐ勇気    遂げる喜び    有り難い」

 

そして、「愛しとるのです」の一文から始まるこの物語の芯に触れる部分。愛の対象を “神” とし我が死肉を捧げんとする有り様。父一人なら自己犠牲の美談にもなれたかもしれないが、それが一族の(本人も疑いを持たぬほど染みついた)しきたりで実際家族を皆殺しにした後となれば、ただただ不気味で危険な世界でしかない。

そうして死肉を糧に生きることとなった茜。本当にその「理屈」は茜の救いになったか?  どうだろうか?

それへの結論はさておき、茜が今際の時に鳳仙に触れられた時の言葉を振り返らせていただきたい。

 

 

「ああ    あたたかい」「俺はいつでも皆に触れることが出来たけど…」(母の亡骸に触れる幼い茜の姿) 

 

「ああ    あたたかい」

f:id:franca_LEDIEFAHT:20190801172649j:image

 

 

 

八重と手を繋ぎ山を駆ける茜の姿を思い出す。