初めて聴いたとき衝撃が走った歌詞、
「面白い!」とか「刺さるなぁ~」というよりも「私の精神史はこれ以前と以後で様変わりします」みたいな歌詞、ある人はあると思います。あるかな。
私にとっては、BUCK-TICKの『キャンディ』
96年に発表された楽曲。私はその時はリアルタイムじゃないので、その10年近く後の中学時代に手にとったベスト盤『BT』でこの曲と出会い。
終末感とか、退廃美とかデカダンとか、ありふれた言葉でいうとそういうことかもしれないけど、とにかくはっと気づかされるような気持ちになった記憶。
これはキャンディだけじゃなくBUCK-TICK全体が自分にとってそうなんですが、
「知らなかった世界」や「新しいショック」も勿論どんどん提供してくれるんだけど、でも第一に感じるのは「俺が求めていた世界まんまじゃん」みたいな感触。まんまとまで言ってしまうのは欲がなさすぎるかな(笑)
新しいピースをくれるという以上に 探してたピースを持ってきてくれるのが一つにBUCK-TICKというか。
そして『キャンディ』もまた探してたピースだったんです、当時。
何もないかのように感じてしまうこの視界にも真っ赤な花は咲くし、
きっと心は手足を目を使い道なくした先で誰かに触れる
(ここおそらく国営放送禁止ポイント)
空白感とかそこからの脱却とか、そういったものを一つの “世界観” として提示してくれたのがキャンディでありBUCK-TICKだったんですね。
RPG脳だからゲームのフィールドBGMにしたいもん、この曲。
この前ツイートで見かけて「なるほど」っと思ったのが、このキャンディの一つ前のシングルであり、怪作アルバム『Six/Nine』の実質ラストナンバーでもある『見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ』。
あの曲とアルバムから一気にポップになったなー、というのもありますが、
腐った世界のネオンを見ながら「真実を知るには ここにいてはいけない」と歌った次に、このキャンディでは「目には見えない全てを真実とした」「目をなくし心があなたの胸に触れた」ともろ真実に触れてるんですよね。
その相互関係みたいなのは今語りきろうとはしませんが、この180度近い振り幅のデカさとそれでも揺るがない一本軸の強さこそBUCK-TICKの本領でしょう。
毎回ベスト盤収録はシングルバージョンですが、『COSMOS』収録のアルバムバージョンはこれでもかというほどノイズたっぷりで曲の荒廃感を200%底上げしています。荒廃なんだけど優しげで露骨な痛々しさはないのがこの曲の魅力(耳は痛いかもしれないけど)。私はキャンディと言ったら完全にCOSMOS仕様。
サビメロもいいんだよね。言う人に言わせればこの頃くらいまでのBUCK-TICKは「良くも悪くもサビが盛り上がらない」だそうですが、だから僕は好きなんだよねー、とか。元々そのサビ作りでおっと引っかかったのが最初でもあったし。
よく「今井寿のメロディは独特すぎる」と言われるけど、BUCK-TICKばっか聴いてるとむしろ他の曲に違和感を感じてしまうというか。「何でこんな無理してサビ盛り上げようとするのだろう」ってなるとか。ならない? 私はちょっとなりがち。
そんなこんな、勢いで書いたキャンディ話。
キャンディの詞は箱庭療法(※箱庭に好きなのを入れさせて自己表現能力を促す云々)をモチーフにしているとか。
僕の箱庭に敷き詰めたキャンディはどれも口当たりがバクチクするのです。