2023.7.12 Lillies and Remains 『SUPERIOR』 Release. (+)

 

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Superior

Superior

 

最高なので是非。「期待の真上」とはまさにこのこと。

 

 

 

 

 

 

リリーズに出会ったのは、やっぱり今井先生のブログから。

 

 

 

あっ、印象的な話だった「外人さんがこの音をやったらもっと『音はどこまでいっても音』みたいな感じが出ると思う。『ビミョーに細かい強いこだわり』が日本人ぽい」という話もこの回だったか。その辺って今でも通用する聴こえ方なのだろうか。まあそれはおいといて。

 

10年ちょっと前に上の寿記から経由して聴いてみたら、マジで間違いなく格好よかった記憶。

淡々とした進行とクールなボーカルに、飽きさせない気持ちのイイ音作り。

 


Moralist S.S. - YouTube

 

 

 

ちょっと変な話に移るんですが、『響』っていう漫画が一時期結構好きだったんですけど


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「陰で本ばっか読んでいる十代少年少女の苛立ちと凶行、そしてその人を捕らえられない 彼女から発せられる乾いた旋風力」。

ざっくり言ってしまえばこの漫画のそんな感覚が、まさにリリーズの音楽のイメージとフィットしていた記憶。うーんこれでもかというくらい音楽の話してないけど (笑)。まあ彼らの音楽に対して一つの個人的アイコンとなったのが、例えば響みたいな空気感だったという話。『Moralist S.S.』『Learn to stand, walk, run, climb and dance. One cannot fly into flying.』とかいうタイトルだけでももうそんな匂いが立ち込めてくるし。

 

 

2nd miniの『MERU』で耽美さとも違う幻惑っぽさや倒錯感へ進み(大して読んでないけど三島由紀夫っぽいなとか思った)、

そして2枚目のフルアルバム『TRANSPERSONAL』。1stにはまだジュブナイルっぽい青い空白感みたいなものがあったのだが、こちらはもう「決意の塊みたいな強力さと危うさ」が迸っていた。

個人的にはこの『TRANSPERSONAL』が停滞前の最高傑作というか、やりたかったのだろう音楽にここで手が着いてその後は活動の幅を拡げつつも模索期に入ってたんじゃないかと思う。

 

 

で、なんだなんだと言ってる間にまさかの藤井麻輝プロデュースとなった3rd Album『ROMANTICISM』。個人的には贔屓も相まって「リリーズの凄さ」より「フジマキが凄すぎる」面が際立ってしまったような印象もあるアルバムだったけれども。

 


Lillies and Remains - BODY - YouTube

 

 

今井寿から名指しで称賛を受け、藤井麻輝直々のプロデュースを受け、yukihiroソロことacid androidのサポートメンバーに加わり、そしてノベンバらと同期的な絆(今回の新作にもベーシスト高松が参加)がずっと続いているバンド。

「全然ヴィジュアル系じゃないけどヴィジュアル系の原初(というかSCHAFT組)の恩寵を一身に浴びたバンド」という印象もあった。シアトリカルさとは真逆の「もう一方の90年代初期V系の血筋」であるかのような独特な立ち位置だったと思う。

 

 

 

そんなリリーズの9年ぶり最新作、聴いてください。と結びたいところだけども、9年ぶりともなればやはり単純にかつての延長線上であるわけもなく。

 


Lillies and Remains - Superior - YouTube

 

全面的にパワーアップし尽くしたサウンドや リリーズらしい “内向的な尖り” を堅持しつつも、以前よりも開放感と微かな温もりを得たようなアルバム。それは決して「軟化した」なんてものじゃなく、彼らが彼らのまま芯のブレることなく成長した音楽のように聴こえてくる。フジマキ塾も卒業(っつーか閉校?)して、正真正銘彼ら自身で『ROMANTICISM』を昇華しきったようなサウンド。改めて更に格好よくなってるぞリリーズ!

 

 

ま、そんな紹介ともつかない話はさておくとして。

初聴でも関係なく絶対格好いいです。聴いてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全然関係ない 小説作家繋がりの話

 

十代の頃に村上龍の小説を何冊か読んで、当時の自分は「際どいネタを弄んでる感しか伝わらんな」という感想に終始したんですけれども。

最近の露悪や腐敗を見せびらかすようなあれこれや言葉やを見てて、ふと「ああ、あの頃感じた村上龍小説に対する好きじゃなさに近いんだな」などと思い至り。

 

“龍コインロッカーベイビーズ 読み捨てたマリー”

 

とは特撮の『身代わりマリー』の歌詞の一文。

オーケンがどういうイメージでこの一節を入れたのかは全然知らないけど、自分はまさにコインロッカーベイビーズを(わざわざ手に取った上で)読み捨てた十代だったし、この一文で「マリー」という人物像が超ダイレクトに伝わってくるような気がする名歌詞だった。

 

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僕はやっぱり、高らかに身代わりマリーの歌を歌う側がいいわ。

あと小説はもう殆ど読まないです。