『RIBELO』


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BUCK-TICK櫻井敦司さんのご快復とメンバー・スタッフ全員の無事を祈っています。

 

 

 

ということを入りに述べつつ、

BUCK-TICKの自主コンセプトベストを前にふと思うものがあったので。

 


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コンセプトベストアルバム『CATALOGUE THE BEST 35th anniv.』

『RIBELO』『GOTIKA』『ELEKTRIZO』『FANTAZIO』『ESPERO』の5つのコンセプトに分けた計5枚80曲を網羅したベストアルバムになるらしい。なるほど『GOTIKA』『ELEKTRIZO』などは字の如くゴシック、エレクトロな曲でまとめたような選曲になっていた。そして

『RIBELO』…………

 

 

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直訳すると『反乱』。

89年までのBUCK-TICKから文字通り「破壊と創造」をした『ICONOCLASM』、歴史的事件作・惡の華の幕開けと言え、そして今の御時世のさなかで輪をかけてアウトな『NATIONAL MEDIA BOYS』、厭世と自己否定に染まった『Six/Nine』の世界、『ゲルニカの夜』に代表される反戦的テーマをもつ楽曲たち、ジョン・レノンを撃った男の心理を問うた『天使は誰だ』まで、まさしく反発のナンバーが目白押しだ。

『GOTIKA』や『ELEKTRIZO』は(エスペラント語が読めなくてもなんとなく伝わる)タイトルどおり、まさに「楽曲ジャンル」を孕んだところで統率されたコンセプトだが、この『RIBELO』はBUCK-TICK史が綴ってきた曲種様々な “反旗” をその一点で押さえきった素敵な一枚になりそうだ(『唄』と『ANGELIC CONVERSATION』がここに入ってくるのもニクい)。

 


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BUCK-TICKは一つにはパンクバンドである。と思う。楽曲性がビジュアルがというよりも、その根っこに「絶対にどっかで反動的じゃないと」というセンスがある。

演奏力の弱さをセンスで凌駕していた時代に始まり、『惡の華』の件、『楽園』の回収話、アフガン・イラク戦争開戦に『極東より愛を込めて』をぶつけたこと、大震災を経ての第一弾が「優しかったりする音楽ばかり流れてるけど、ホントに欲しいのはソレじゃないんだ」だったこと。そして業界や客をおびただしい路線転換で翻弄し続けてきたスタイル。

BUCK-TICKがそういったスタイルで生きてきたバンドであることは疑う余地のないだろう。何より5つのコンセプトでこの『RIBELO』が最も「BUCK-TICKの歩み」を体現した曲目になっているのもさもありなんだ。

 

 

だが、そういうスタイル自身が必ずしもウケる風潮でもないのだろうなとも思う。少なくとも自分の周囲ではあまり語られようとしない。それは例えば、LUNA SEAの10万人ライヴが音響の悪さばかり語られてその実現の成果自体はあまり語られないように。

そこにはパンク的・反動的というようなノリへの忌避感なりがあったり、いやもっと例えば「音楽」や「ミュージシャン」というものが技術論的・機械的にばかり処理されていく感覚であったり。

 

 

そういえば何年か前、今後のBUCK-TICKはどうなる?という話題を掲示板で垣間見たときにこんな話題の流れを見た。「BUCK-TICKには政治的な曲をやってほしくない」。……言わんとしてることは分からんでもないのだが、『極東より愛を込めて』も『幻想の花』も『楽園』も既に政治的な意思や視点を前提に出来ている曲ではなかろうか。

BUCK-TICKの凄いところはその政治的テーマにしっかり手をかけつつも距離感に幅を持たせる業(櫻井さんの作詞スキル、“個の描写に専念して社会的テーマを伝う” 作風)、押しつけがましくなく聴き方の自由を徹底的に守る作り方だ。ではあるのだが、「今まで政治的な曲はなかった」とまでになると「そうだっけ……?」と喉まで出かかってしまう(じゃあどこからどこまでが政治的・現実社会的な曲なんだ?というような話でもある)。まあ私なんかがなんぼ言わなくても、その話の少し後に『ゲルニカの夜』という傑作曲がやってきたというのが全てなのだが。

 


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パンク文学、パンク映画、パンクファッション……パンク的テーゼは一つの文化形態にもなった立派なスタイルだと思うが、今ではなにか思想・信条の裁判にかけられるかのように避けられがちだなと思う(創作の自由を〜とか騒ぐ人ほどわりとそういう方向に対しては冷笑・拒絶的である気もする)。

それこそBUCK-TICKという、“絶妙なバランスと紳士性で反旗的スタイルを更新・提示し続けている” 偉大な存在を前にして、なんだか勿体ない話だ。

 

 

 


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話が逸れるが、音楽の話になるとやたらルーツやリスペクトの系譜への理解度を重要視されるが、一方でゲームの話題では特にそんな話題にはならないよなと最近思った。そりゃそうだとも思う。

まず、ゲームを楽しんでいることが第一だから。あと何ならたくさんのゲームをかじって喋れることよりも、一つのゲームを極めている方がウケる風潮だから。

 

そして……ゲームは創作の多角性が如実に出る作品だからだ、とも思う。言わばジャンル以外の角度から拾ってきたような要素の方が目立つから。

キャリアのあるゲームクリエイターの言葉なんかを追っていると、彼らがゲームは勿論のことそれ以外のものにもアンテナを張り巡らせて作品に吸収していることがよく分かる。RPGになるともはや「いかに異世界体験装置を完成させるか」の域に差しかかっているので、釣りでも料理でも人の生活や活動の中で面白がれるものは全て取り入れられるという具合に。あーそういえば初期FF御用達のATBは「カーレース鑑賞の楽しさをRPGに取り入れられないか?」という発想から生まれたという話だったなあ。


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ジャンルに違いはあれど、第一線で創作に携わっている人たちはミュージシャンであれ何であれ大多数がそうジャンルや分野を超えたところでアンテナを張り巡らせているだろう。そしてパンクであろうと上品であろうと、曲にはまず作った人の意思があるのだ。

私は、それらを拾えるものでいたいかな。

 

 

 

ともあれ、『RIBELO』というコンセプトを「当たり前のように」楽しめるリスナーでいたいということで。

 

 

そして今回示されたコンセプトの最後の一つは『ESPERO(希望)』。パンドラの箱の紹介してるみたいだな。パンクに生きるBUCK-TICKは希望の方角へと突き抜けてまた私達に素敵な楽曲を聴かせてくれる。そういえば『ANGELIC CONVERSATION』は自分だったらESPERO枠の方に入れてたなあ〜とか思ったので、そんな捉え方の違いもまた面白いのです。

 

 

 


Buck-Tick : Aikawarazu "are" ga nosabaru hedo no soko no fukidamari ( Live ) - YouTube

 

突き抜けさあESPEROの都で会おう

 

 

ABRACADABRA.