LUNA SEA 『STYLE』

 

人は多分、誰しも「中学くらいの頃から聴いているけど今でもたまにフルで聴くと『なんじゃこりゃあ……』と慄く音楽アルバム」というものを持っているとして。私にとってはその中の一枚がLUNA SEAの『STYLE』というアルバム。

 

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何でいきなりお前の血液成分の話を(言い方)? と言うと色々と思うところがあって。まず入りの言葉のとおりまた改めて頭から聴いてハッと頭を過ることもあったから。

あと、最近のバンドやロックを取り扱った創作作品を色々と見ていた中で、ふと『それを始めた時の初期衝動』ではなく『継続・発展させていく上での格闘、血と汗と涙』を描いたもの、そもそもそれはどのようなものであったか、なぞを LUNA SEAという最高の資料に沿って覗いていきたいと思ったから。云々。

 

 

 

『STYLE』はLUNA SEAが1996年に発表した、インディーズから数えて5枚目のCDアルバム。前作『MOTHER』でクオリティ、革新性、売り上げどれをとっても爆発的な飛躍を遂げ、その前作を何としても超えなければならないという本人達の意地と苦闘の中で2年を経て生み出した傑作アルバムだ(“『MOTHER』のレコーディングが終了した時にはメンバーから喝采が上がっていたが、今作が出来上がった時は全員が力が抜けたような息をついていた” という逸話もある)。

そのアルバム性は一言で言えば「苦しい」。量子がギチギチになった宇宙空間に放り出されたような圧迫空間サウンドと、天を睨むような熱唱に彩られた一枚。

そして「五者一体でやりたい音楽をぶつけ合い、一つにし、上へ上へ磨き上げていく」という彼らのバンド作業が、もうギリギリの境地での限界を迎えた時期の作品でもあっただろう。このアルバム・ツアーの後にLUNA SEAはメンバー各々のソロ活動に入り、それぞれの色をより高めつつもバンドの空中分解──「終幕」へと至る軋轢を本格化させていく。

 

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前作『MOTHER』からの変化はグルーヴの重厚化はじめ様々あるが、その中の一つから「表面的なゴシックぽさからの離脱」という面を上げてみたい。ステージ衣装もギター2人を微妙な線としてほぼ全員がゴシック的装飾を落としたように見えるし、前作の『GENESIS OF MIND』や『MOTHER』ほどのコテコテな楽曲も影を潜めた。

1999年世紀末に向けて肥大化し続けていたオカルト的なブームが、1995年に起きた新興宗教団体を取り巻く社会事件を景気に表舞台から排除され、一方で深夜アニメやゲームが新たな受け皿として急進していったとは(私は世代ではないが)よく聞く話(97年からのヴィジュアル系ブームにもそういう側面があったのではないかとも思う)。

メジャーチャート首位への台頭、一人一人に刺激をもたらしたアイルランド撮影、初の東京ドーム公演といった激動のバンド展開を進んでいたLUNA SEAもまた、決してそんな時代の空気を無視するように歩んでいたわけではなかった。

しかしいきなり暗黒趣味を棄て去って優等生になったのかというと(この時はまだ)そうでもなく、むしろ「不明瞭な終末感」「行き場のない窮屈さとそれでも奮い立とうとする決死感」といった空気に染められた一作に見える。まさに「オカルトという受け皿を失った少年」のような『オカルトを失ったオカルトムード』とも呼べるようなものが、本作には充満しているようにも受け取れる。

 

また、当時のメンバーインタビューを見ると、結構な頻度で「社会から切り離された作品にはしたくない」「メッセージ性を届けるものにしたい」といった言葉が垣間見れる。と言っても当時の彼らが所謂「社会派」のようなものを目指していたわけではなく、むしろ彼らが全力で生きている姿とその意義のようなものを世に示そうとしていた、と言った方が近いだろうか。Jの「ファンレターは必ず読みます。どんな評論家の意見よりも正直な意見だから」といった言葉たちが、彼らが “メッセージを届ける” 先とその内容を最も証明していたのではないか。

彼らは数々の歌詞に自身の意思を書き記し(Jの英文に顕著)、またドキュメンタリーフィルム『REW』や『月蝕』などの書籍などを通して度々バンドの足跡を遺そうとしていた。

 

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5人で競い合って磨き合うというバンド体制への一旦の限界域、発売後に「解散」が囁かれだすような緊迫した空気、20代半ばの青年達がたくさんの刺激を受けつつの「メッセージ性を届けたい」という意思、メンバー(特にRYUICHI)の「傷の舐め合いのような作品はやめよう」という意向などを背景にしつつ、このアルバムは世に投下されていく。

 

 

 

 

RYUICHI「今、LUNA SEAに起こっていることすべてを、ひとつのムーブメントとして、首都高を何百キロでぶっ飛ばすように通り過ぎて終わらせたくないんですよ」 (『月蝕』より)

 

 

 

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With Love - YouTube

 

1. WITH LOVE

薄暗くも甘いバラードをローファイでノイジーなバンドサウンドに乗せて聴かせる。陰鬱でカオスかつロマンチックな内省世界から始まるような一曲目。

 

高い壁に塞がれてる世界で

遠く霞む光 消えてしまっても

忘れないで  何時もそばにいるよ

忘れないで  このメロディ

 

この時点で「解散を想起される」のも無理のないことだったのかもしれない。

終盤のリズムが消えてノイズとRYUICHIのボーカルだけになるパートが、まるで夜中に孵化した羽虫が天を見上げているようなイメージで、この曲を象徴するよう。個人的に冬の寒風を感じると真っ先にこの曲を聴きたくなるというのはここだけの話。恋愛漫画とか小説を読んだ後も大体この曲を聴いてるというのは更に更にここだけの話。

 

 

2. G.

一点して一気に飛び出すような爆音ロックチューン。原曲時点でもクールで獰猛だが、ライヴで披露する際のRYUのシャウトがエグすぎる。サビのギターリフもグルーヴィで格好良い。

当然人気の高い一曲だが、個人的には『DESIRE』とちょっと被ってる気がしてそこまで大好きでもない。でも爆音スタートからの「オープリーズ、ヘルミゴー!!(ボォン!)」はこの曲の特権。

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3. HURT

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ミドルテンポに楽器隊のユニゾンで巨大な火柱を構築するようなヘヴィナンバー。J「ドラム・ベース・ギター・ボーカルというシンプルな構成だけど、それ以上何もいらないということを感じて頂きたい」

破滅を選ぶような歌詞が、当時のLUNA SEAの状況を象徴するかのよう……。このアルバムが完成した時点ではまだ翌年の活動休止の話は出ていなかったとのことだが、曲は人より正直なのか今となっては完全にそこを指すような歌詞に聴こえる。

 

満たされないなら  壊してしまえ  すべてを

夢を見たのさ  とてもキレイな  眩しくて 優しすぎて

選んだのさ  壊れる事

愛し愛された日々よ とどかない光の向こう

たとえすべて 失っても

たとえすべて 失っても

 

そういった歌詞世界や演奏の熱さからか、終末感のあるミドルテンポ曲ながらライヴのラストを務めることもある稀有なナンバー。というかこのアルバムでこそ序盤に顔を出すものの、実は終盤に登場した時にこそ映える曲かなとも思う。個人的には2013年スレ限が最高にベストテイク。

 

 

4. RA-SE-N


Ra-Se-N - YouTube

 

5/4拍子を軸とした構築美ナンバー。こちらは従来のLUNA SEAらしくそれぞれのパートが別々の旋律を鳴らし不気味な空間を象っていく。

ライヴでは終盤のギターソロが長くなり、RYUICHIが吠えまくり(知る人ぞ知るヒャアー唱法もこの曲)、煉獄のようなステージを魅せる。SLAVE的大人気曲。

 

RYUICHI曰く「この曲を演奏するときには自分の世界に入り込んで歌う」とのこと。「誰も知らない  僕の心……」そりゃ翌年にはI love youやBEAT歌ってるなんて誰も知らんわ。そういうところが一人っ子気質(対人と独りの切替えスイッチがバグってる、独断専行がち)だよなとか思いつつ、同じく一人っ子な私もこの曲に象徴されるRYUICHIらしさに物思うところがあるのです。「RA-SE-Nの歌詞に共感した」、嫌すぎる……。

 

ひび割れた  地図の上

せめぎ合った  騎乗の夢

鏡に映った  自分に叫んだ

喉が裂けるまで  上手く笑えない

Ah もっと傷ついても もっと強く傷ついても

廃墟に舞う蝶のように  ありのままに羽ばたけるなら

 

まあそんなこんなで、いつもはライヴver.を愛聴しているのでたまに原曲を聴くと短いしちょっと早いしビビる。

 

 

5. LUV U

先行シングルのB面から新たなミックスで収録された、アルバム前半でちょっとしたアクセントになっている良曲。ダークにもダンサブルなリズムでJのうねりまくるベースがほぼ主役。

同じB面なら『TWICE』か『Ray』から入れてほしかったなーとも思うのだが、まあこのアルバムにその2曲が入ったらいよいよ重すぎてアルバムバランスが破綻するのだろう、多分。

 

 

6. FOREVER & EVER


Forever & Ever - YouTube

 

10分に及ぶ大バラード。重要なライヴなどでほぼオーラスかその手前に演奏される。

まず、ボーカル・ギター共に最初から最後までメロディが良い。ギターの音も「渇き、潤いを求めている」ようなこの曲とアルバム全体を体現するように感傷的だ。真矢の一発入魂の迫力に満ちたドラムと、曲の重みを示し続けるJのベースも素晴らしい。あっという間に10分が過ぎていく大名曲。

中盤からの鎮魂歌のようなドラムマーチ〜JのポエトリーリーディングSUGIZOの霊的なギターソロ〜ドラマティックなラスサビ〜最後に残るINORANアルペジオ、の流れが本当に無駄なく美しい。

 

J「日本人の英語の解釈の曖昧さを利用させてもらっているところもある。(…) 言いたいことが一つであれば日本語がいいんだけど、俺は、この英語詩をリスナーの身近なテーマで訳してほしいんですよ。『ROSIER』のときもそうだったんだけど、今回も、その人によって引っかかるものがあれば、そのポイントで訳してみてほしいと思う。」 (『月蝕』より)

 

Close your eyes, open your mind,

going back for a moment of time

To those days and take back the eternity

and the hope you felt for sure

Time changes all and strives to change me, too

If we fight, it hurts   If we surrender, we go under

And many people are lost and hurt

They let go of their most precious thing

Even if it breaks me into pieces

I want to keep believing,  keep feeling till it ceases

The eternity deep in my heart

 

So, remember

That body, soul, mind, blood, tears, dreams, love, pain, and joy

Cause, they're all so precious,

forever & ever

 

さまよい続けてる乾いた心は

愛されたいと願うほど傷付いて

限りなく続くこの道の先に

求めるその何か あると信じたい

 

何処まで翔べるのか  確かめたくて

 

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LUNA SEAからの遺言のような一曲。1996年真冬の野外で、何かが終わってしまうような焦燥にかられながら演奏された時。終幕の時の、燃やし尽くすように演奏された時、真矢がクライマックスのドラムを泣き叫ぶように叩き上げるシーン。REBOOT後の、ようやく本当に一つになってこの曲が演奏されているんじゃないかという時。あらゆるLUNA SEAのシーンがこの曲に在る魂と共にフラッシュバックする。

敢えてLUNA SEA本人らと関わらないイメージを述べるなら、──海辺、鎮魂、戦死、誰かの生涯──やはりそんなImageだ。

 

 

7. 1999

後半戦突入とばかりにいきなり始まる、2分半でサンプリングだらけの高速ナンバー。SUGIZO曰く「初めから遊びながら取り掛かった」とかなんとか。1999年に向かう衝動の曲だからか、2000年以降はもうさっぱり演奏されてない。

あまりそういう見方をしてこなかったが所謂「V系のアルバムに一曲はあるカオスでハジけてる曲枠」とも言えるかもしれない。短いけど独特のクールさ妖しさに満ちてて格好いい。

終盤のサンプリングボイスからそのまま流れるように次にある曲へ流れこんでいく。

 

 

8. END OF SORROW


End Of Sorrow - YouTube

 

重低音とメロディックに疾走するサウンド、慟哭すぎる歌声に空間性のあるギターアプローチ、Aメロ〜サビの繰り返しの中にムリヤリ展開量押し込んだみたいな曲展開、複雑なバンドアンサンブル、内向きながらも未来を睨むような歌詞と、まさに当時のLUNA SEAの名刺代わりのような一曲。

後半の歌詞「人は悲しみを知り  心からの愛を知る  何故生まれて来たのか  自分の事 愛しはじめるの箇所が、当時のRYUICHIの傷の舐め合いから脱却しようという意志、彼の哲学、ナルシー感、そして言葉が唐突すぎてちょっとよく分からない感が結集していて非常にお気に入りである。

冬に歌いたい日本の名曲、GLAYWinter,againT.M.RevolutionWHITE BREATHを押し退けて「真冬の野外で歌うLUNA SEAのEND OF SORROW」に決定!!!!!

 

 

9. DESIRE

シンコペとキメを魅せまくるリズム、熱鉄の如きギターサウンドRYUICHIのクールを突き詰めた歌声がひたすらに格好いいスタイリッシュなシングルナンバー。ただただ「格好いい」の一言だけで十分みたいな曲だ。

そういえばREBOOT後のRYUICHIは98年以降の曲すらもキーを落としてクールに寄せていたが、この曲だけは何故か高いままになっていた。彼の曲解釈だろうか。

 

 

10. IN SILENCE


LUNA SEA - 「IN SILENCE」MV - YouTube

 

ディレイにディレイをかけたというSUGIZOの波飛沫の如きギターと、一方でINORANが刻み続けるアコギのリズム、真矢の跳ね続けるドラムと耳が忙しい名曲。いかにもややこしそうな曲なためか昔も今も器材(主にギター)トラブルに付き纏わされ続けている一曲でもある。

このアルバムの中では若干浮いてるくらいに一際の解放感を漂わせており、音が密集してるのではなく多方面に広がっているような空間芸を魅せている。

この96年までの楽曲で最も『CROSS』〜REBOOT以後、或いは98年以後のLUNA SEA楽曲に通底している曲だと思う。そう思いながら聴くと、この曲はアルバム終盤の解放空間であるだけではなく「その後のLUNA SEAへの突入フラグ」「彼らが進む方向を示唆した一曲」にも思えてくる。

歌詞はラヴソングっぽくまとまっているが、個人的にはRYUICHIの “少年時代から独りでよく海に行っていた” という話の心象風景と重なるところがある(有名なMVもそういうイメージじゃなかろうか)。そういう意味でも「河村隆一突入前夜」とも言えそうだが、原曲者SUGIZOの当時的な心境・音楽表現の変化もまた思わされる。

 

 

 


Selves - YouTube

 

11. SELVES

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一転して、暗黒空間に取り残されたような静寂の空間曲。

INORAN原曲であるが、トイレで録音するという発案や、終盤の「ギター8本分の音を同時に鳴らして、それを少しずつずらしていって最後はジャラジャラと大量の弦の音が鳴りまくる(!?)」といったトンデモアイデアなどからSUGIZO濃度の強さが目立つ。が、このダウナーな空気感とそれでいて淡々とした進行はやはりINO曲。圧倒的存在感を放ちながらも、一度もベストアルバム等に収められたことがなくライヴでも滅多に披露されない、無冠の傑作曲。

『IN SILENCE』が「閉塞空間を抜けた解放区」「その後のLUNA SEAへ続くもの」「True end分岐点」のようだとするなら、この曲は「暗黒への終わりなき沈没」「この頃のLUNA SEAコールドスリープ」「Normal end」のようである。

一曲目『WITH LOVE』もこの『SELVES』も最後の歌詞が「この熱が、愛が、冷めてしまう前に」という文言で括られている。やはりその後のLUNA SEAの歩みを想起してしまうが、むしろ前年の初東京ドームのことや、前作『MOTHER』の熱気、或いはデビュー前後の頃を歌詞に浮かべていたのかもしれない。とかく、彼らは自分たちが生きた証を遺すことに必死だった。

 

 

 

 

 

11曲の内に8分を超える楽曲が2曲。加えてミドル〜スローテンポで音の圧に埋めるような曲がもう3曲ほど。スピードチューンも重低音の強い曲が最初と後半に並び……というヘヴィなラインナップ。この重たい楽曲群に、LUNA SEAは前作を超えるという意思と自分達が掴んだ “届けたいもの” を詰め込んだ。

『STYLE』というタイトルについて、「俺達はよく『曲がバラバラだね』と言われるけど、『バラバラなのが俺達のスタイルです』」というJの言葉が有名だが、もう一つやはり『月蝕』から引用したい。

 

J「例えば、エンヤなんて、アイルランドに)行く前は非常に作為的な音楽だと思ってたんですよ」

──ウケ狙いという感じで?

「うん。これぞアンビエントみたいに。イメージだけの音楽だと思ってた。でも、アイルランドに降りてみたら、風景とか、風の動きとか、太陽の注ぎ方とか、肌で感じるすべてがエンヤの音楽そのものだったんですよ。そのとき、俺は、何かに無理矢理なろうとするんじゃなくて、やっぱり自分にならなきゃダメだなと思ったんです」

 

かくしてLUNA SEAは自分たちの『STYLE』を作り上げ、また彼らの “STYLE” は幸にも不幸にも「ヴィジュアル系の雛型」とされていった。それらに対してそれこそ「作為的に見える」というような非難が当時から今でもつきものだが、私はやはりこちら側に立ちたい。“作為的じゃないからこそ、独自性を目指し、迷い続け、やたらややこしい作品になっていくのだろう” と。少なくともLUNA SEAはじめ「ヴィジュアル系の第一人者」と呼ばれ(てしまっ)た偉人達から私が受け取ったことはそんなことだと思う。

「等身大の〜」といった言葉は往々にして素朴っぽさを売りにしたものに対して使われるが、私に言わせれば「一番等身大を売りにしているバンドはLUNA SEA」である。

そんな話をも背景にしつつ、私が選ぶ最高に格好良い音楽ジャケットはLUNA SEAの『STYLE』のジャケットということで話を締めていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてちゃんとしたアルバムレビューみたいなものを書いたと思う。知識的にもそういう文章はもっと真面目な音楽聴きの人がやった方がいいよと自分は逃げ回っていたのだが、まあ、レビューとしては不真面目な内容になっただろう (笑)。でも楽曲単体の話だけではなく、「そもそも作者は何を描こうとしたのか」とか、その歩みとか、そういうことにちゃんと触れてほしいというものは一応書いたかな。

 

その後の歩みということで98年〜00年終幕までのLUNA SEAについて一言綴ると、やはりバンドカラーどうとかいうよりも、「LUNA SEAは5人全体のやりたい音楽を詰め込んだもの」という器とそれを巡る空中分解だと思う。少なくともJは「河村隆一のやりたいこと」を真剣にLUNA SEAとして昇華しようと尽力していただろうし、またメンバー全員とも未だナイーブで閉塞的な楽曲を続けようとは思ってはいなかったのではないか。そういう意味で、『STYLE』からの再統合をようやく成し遂げられたのはREBOOT後の『A WILL』だったんじゃないかな(『SHINE』も『LUNACY』も好きだけどね)。うーん、バンドや人の歩みというものは、とかく途方もなくて、力強い。