ゼルダと私とオープンワールドと自由の肯定とか

 

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御多分に洩れずゼルダをやっております。

 

 

……ちょっとここ数年はゼルダに対して色々思うところもあったので、この新作ティアーズオブザキングダムを終わらせたら書こうかなとか思ってたんですけども

 

 

 

終わらねえ!!!! (ドンッ!!)

 

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地上と天空と地底の3つに大きく別れた世界。探索に次ぐ探索、祠に次ぐ祠の謎解き、新しい村に来れば一気に頼まれるサブイベントの数々、全然到達ポイントが分からん地上絵巡り、50時間以上やっててメインシナリオらしき4ヵ所の異変も2つ目がやっと終わったところ…………

でも時間見つけたらもうずっとやってるし、申し分ない傑作だと思います。

 

 

冒頭に意味ありげに言った “ゼルダに対して思うところ” というのも、要は「前作ブレワイ、歴史的傑作みたいに言われまくった一方で自分はそんなハマんなくて途中で放置したんだが」みたいな話であり、「オープンワールドそんな好きじゃないのに流行っちまってよ」というやっかみみたいなもんだったのですが(でもゼルダは買っちゃうんすね〜)、その前作で歩いていてたるいな〜とか思っちゃってた部分が今作ティアキンではかなり解消されたかのようにも感じました。

 

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その最たる要素が物同士をくっつけ工作──いやもうさんざん言われてると思うのでいいでしょう。このビルド機能によって自分で移動手段を開発したり、道ばたにあるものの使い道を能動的に考えることが増えたり。筆者は最低限クリアできればええわ精神で触っているだけですが、ユーザーによっては自動爆撃巨大ロボットまで自作で創造しているという。

筆者はオープンワールド系に対して「 “だらだら移動に時間がかかるオープンワールド” と “だらだらムービーに時間をとるムービーゲー” は本質的に一緒じゃないの?」「バトルもまあまあワンパだし」とか思いがちなのですが、移動手段やギミックそのものをユーザーに発案させることでそんな道中のたるさにも新たに踏み込んできた新仕様なのかな。

 

 

 

 

 

発売するなり大量のゲーム記事が出回ってるけど、そのなかでもこれは興味深いなと思った記事がこちら。「ブレワイ・ティアキンの魅力とはユーザーが考えたことの肯定で出来ている」というお話。

 

プレイヤーがゲーム中にふと考えたことを出力させ肯定してくれるという点で、高い自由度を表現している。草木に火をつけたら燃えてほしい。卵とご飯と肉を炒めたらチャーハンができるだろう。弓から放たれた矢は山なりに飛ぶはずだ。知らず知らずのうちに学習した結果ではあるものの、現実に生きる自分の直感的思考が、ゲーム中で思った通りに肯定されるという点での自由である。

 

と、今作のビルド機能にも触れながらそれを「プレイヤーの考えたことの肯定」と述べられている。

肯定による自由、いやそもそも「自由度」という言葉自体がいわば「どれだけプレイヤーの思惑を肯定してくれるか」という水準を指す言葉だったと思う。一本道になりかねない道中に対して「コイツの話に付き合わなくてもいいんじゃないか?」「この道の外側は横断できないのか?」「もっと別の道筋がありえるだろう」といった希求を肯定する尺度がこれまで自由度と呼ばれてきたんじゃなかろうか。

また、ブレワイ・ティアキンのゲーム性に対して、ゼルダスタッフ当人たちは「かけ算の遊び」という言葉を用いている。「柵を飛び越えられなかったゼルダから、空中まで自由に移動できるゼルダへ」「火、水、氷、風などが、木、草、岩などに触れ、常時化学変化を起こしていく世界へ」、それはかけ算式に遊び方が広がっていくゲームづくりであると。

 

 

その時点では「まあまあ昨今のオープンワールドの延長線なんじゃないの?」という感覚もあったのだが、今作でのちょっとした乗り物から巨大ロボット、はたまた「とにかくくそ長いのでどこにでも橋渡しができる長い板」など、「それアリなんだ」というレベルにまで自由に発明可能な工作ビルドはまさにかけ算式だ。

 

 

 

 

ユーザーの発想がめちゃくちゃに肯定されゲームの形が広がっていく。これは流石に段階を画した作品に触れた衝撃だ。

 

そういえばゼルダと言えば「結構ゴリ押しみたいな謎解きが正攻法だったりするし、また別のゴリ押し手段も案外許してくれる」という印象があるのだが、今作はその機動力やビルド機能をもって攻略法が更に多岐に広がっている気がする。

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ただそんな強い肯定の姿勢が反映されてか、一方でサブイベントの数々などはかなり単調な「お願いに応えたらなんか貰える」という『お使い』イベントの繰り返しが目立つな、とも感じた。

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お願いを訊いて、応えてきたらアイテムなりなんなりが貰えるという作業の繰り返し。言うならば「裏切り」や「洗礼」なんかにはあまり鉢合わない冒険だとでもいうか。

それは例えば「吸血鬼は水が苦手」みたいな私達にはピンとこない理論をゲーム内で理解していって乗り回すような感覚だとか、あるいは「価値観がまるで違うキャラクターに絡まれてひどい目にあったり融通しあったりする」というような醍醐味に欠けるような感触(リンクの一人旅志向も極まってるわけだ)。極端な話「仲間の命と引き換えに手に入れた究極魔法がくそ弱かった」とかいう現象にはまず巡り合わなさそうなシナリオ群である(いやそこまで悪意に満ちてなくてもいいのだが)。そういった「理解らせられたような感覚のなさ」が、逆にイベントの単調さになってしまっているのではないか? とも思ったり。

「世界はお前の思い通りにはできてねえんだよ」とでも言わんばかりな在り方、アドベンチャーの醍醐味は、“肯定” に徹したゲーム故にあまり目立たない作品になったのかもしれない。と言っても旅路はいろんなところでガンガン死ぬし正解が分からなくてウロウロしたりはするので(祠はだいたい一発解答してますよ、えっへん)、理解らせられなくとも一筋縄ではいかないのだが。

 

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その “膨大だけどふとした時に単調な印象になる” 感覚は、作品全体に通底しているかのようにも思う。

ゲームの進行という点では「結構進めたんじゃないかー!」と思ってマップを確認したら3つあるマップの内1つの20分の1くらいしか進んでなくて「へぁ」ってなるのがほぼ毎回の締めくくりである。途方もないほどの世界の広さを味わうと言えばまあそうなのだが、若干カタルシスなり爽快感に欠けるきらいは否めない。やはり作品全体がゆったりとしているというか。

そんな言い方しちゃうとなんだか「このバンドはテンポ早い曲やってた頃(昔のゼルダ)の方がわしは好きじゃった」みたいな話でなんかあれだなとも思ったが、いやそうなれば「歳とって表現力極まったうえで早い曲やれるバンドが一番格好いい」だろう。何の話?

 

 

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失礼ながらやはりサガシリーズを例に上げさせていただきたいが、あのシリーズには自由な冒険が代名詞である一方で「あなたが立ち止まっていても、世界は、時間は、動き続けますよ」「あなた一人を待ったりなんかしませんよ」という意思が通底されていると思う(ていうかムジュラもそうだったな)。考えなしに動きまわっているうちに敵はどんどん強くなりイベントは終結や変容をしている。

それは昨今のゲームやオープンワールドの慣わしからすれば随分「不自由」で「否定的」であるかもしれないが、まあ、私にはそのくらいの方がゲームらしくて良いかなとも思うのである。僕らの世界は肯定され否定されながら動いているだろう。

 

 

 

 

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あともう一点どうしても気になるところ。今遊んでる時点ではシナリオが悪い意味でベタかなあと。長々と見せるわりにはかなりありがちで盛り上がりに欠けるような。

まあゼルダに邪道を求めるかと言われればそれまでなのかもしれんが(夢島やムジュラが王道だったとでも?)、とすればそれこそシナリオパートに費やされるテンポ感とかが気になるのかもしれない。ボイスもスキップできないし。

 

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ゼルダ様の様子がおかしいと囁かれているが、言動を見るにヴィジュアル系バンドマンと付き合いはじめただけだと思われる。

 

 

 

今更になりますが筆者が遊んだことのある過去作ゼルダで特に大好きなのは、『夢をみる島』とリメイク版『ムジュラ』、次いで『大地の汽笛』辺りです。変化球っぽいのばっかやね。

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奇しくも本日6月6日が発売記念日だった『夢をみる島』。私の初ゼルダでもあった。あなたに出会えた夜 僕は生まれた。

 

そして今作ティアキンも新たな名作となるでしょう。オープンワールドが好きじゃない私の中でも。

 

 

他にも「地底世界の雰囲気が最高!」「ていうか地底探索パートだけで一作つくれるだろ」とか「『ブロンド+多種族+古代文明』みたいなキャラデザがユニークで良いね」とかもあるのですが、まずゲームとしての土台そのものが圧倒的でした。

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ブレワイ大ヒットに対する微妙な距離感と、オープンワールドへのやっかみみたいなのを抱えながらのスタートでしたが、「やっぱりゼルダは最高で新機軸だった」と唸らされざるをえない一作。

“かけ算の遊び” という肯定の極致を提示した『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』は、間違いなくシリーズの一つの最高点だし、ゲームの新たな時代を見せてきた作品になるのではないかと思います。

 

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そういえばニキのやつはどうなるんかね。