葉山っちがゲスト回のINORAN BARを見ました。
当然ながらTourbillonの名前もたくさん出てくる放送にもなり……
TourbillonとはLUNA SEAが終幕していた2005年頃にLUNA SEAのRYUICHIとINORAN、そしてH.Hayamaの3人で発足したグループ。シックでグルーヴィで熱唱、面子に違わぬ素晴らしい楽曲が揃ってるのだが、披露される機会を絶賛失っている。ちなみに筆者はとある生放送でTourbillonの名前をコメントしたらRYUICHIに拾ってもらえたというしょぼすぎる自慢(というか喜び)がある。
世代的に「初めてリアタイで買ったLUNA SEA関連作品」がTourbillonの1stシングルで、1stアルバム『HEAVEN』は丸一年こればっか聴いてたというくらい聴き込んだ一枚。何ならどのLUNA SEAのアルバムより聴き込んでると思うし、アルバム一枚の世界観・空気感というところで言えばどのLUNA SEAのオリジナルアルバムよりも好き。その音楽は例えるなら、LUNA SEAのB面集に落ち着きと拡がりを与えたようなトーン(アルバム『LUNACY』の派生的とも言われがち)。
単純に上品な雰囲気とその一方でシブくギラついてるカンジが好きなんだなと思うし、あとやっぱり、“あのLUNA SEAのその後” を「やっぱり一味も二味も違うな!」ってところで聴けたのが気持ちよかったんだと思う。語られすぎる伝説の、まだ見知らぬその先。うーん原体験。
総合的なクオリティは当然2ndの方が高いんだけど、1stはやはり一作目特有の「これで勝負に出るぞ」というゾワゾワ感がある。その辺の皮膚感を始めて感じとったのもビヨンだったな。
プロジェクト発表の時、RYUが「これからは大人のロックをやる」って言ってたのは憶えてる。
大人のロック──
2005年に始動したTourbillonは、RYUにとってはLUNA SEA終幕以来およそ5年ぶりのRYUICHI名義による活動で、それは文字通りポップス系シンガー河村隆一からのロックへの回帰だったと思う。おそらく終幕直後はほぼ「ロックっぽさ」たるものは終わらせたつもりだったんだろうけど、やはり彼にとってロックは欠かせなかったのだろう。
ただ、じゃあそこで初期のLUNA SEAみたいなものをやりましょうともやはりならなかった。その時現在の自分の形でないと意味がなかったから(これはREBOOTしたLUNA SEAにも同じことが言える)。
で、RYUICHIのロック回帰こそが核だったから、LUNA SEAが再始動すると活動理由がなくなってしまった悲しいグループなのだ (笑 何ならピアニスト葉山っちはLUNA SEAに吸収合併された)。ビヨンにはビヨンだけの良さがあるとも思うんだけどね。
「ロックとはティーンロマンでありジュブナイル」みたいな感覚が自分には肌に合わないのは当然かなあとも思う。Tourbillon世代 (笑) なのだから(言うまでもなくこれと前後して00年以降のBUCK-TICKに溺れていくのだし)。まあ何がロックだと思うかなんてのは人それぞれなのだけどもね。
……ルナフェスのMCでRYUICHIが「やっぱり音楽やり続けないと駄目だなって凄く実感した」って言ってた時、ここまでのLUNA SEAやRYUICHIの歩みとか、あとそのちょっと後にデヴィッド・ボウイが去ったこととかと重なって、「彼の一生そのもの」を感じるんだよな。今回の活休と復帰に対しても勿論。
現在にまで至るヴォーカリストRYUICHI・河村隆一のロックさについては、言わずもがな。
なんにせよ、ロック=若きロマンみたいな話がある時、例えばTourbillonの第一コンセプトは「大人のロック」だったな、というのは一つ象徴的なフレーズ。
INORAN BARに話を戻すと、吉川さんのサポートメンバーへの参加についてINOが「武者修行してきます」と言っていた。あそこまでのキャリア(とあのキャラ)のINOからまだまだ「武者修行」なんて言葉が出てくるとビシッとするものがある。
INOソロは『Beautiful Now』まで揃えてたんだけど、久々に聴いたらまたその頃とは違った音楽像を描いてて良い。良かったし、「今のINOスタイルを混ぜ込んだビヨンがまず聴きたいよ」ってなった (笑)。INOソロは常にスタイルが流動的で、BUCK-TICKのような「今度はどんな感じなんだ?」と思わせる楽しさがある。
あー、
SHAGのライヴ行きてえな(爆笑)。