天使と煌めきの機械装置──『さよ教』とアイマスとか

 

先日、2001年作の有名なアダルトノベルゲーム『さよならを教えて』の実況動画をたらたらと見てました。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20201201003604j:image

 

そもそも見てみようと思ったきっかけが幽谷霧子の話題でちょくちょく名前の上がる作品だったからなんだけども。

資料・原画集も買ったけど、まあ実況動画の流し見から「俺はあの物語を理解したぜ!」とか言えた口ではないので偉そうな話はできないのですが、やはり名作と名高いだけあって思うところ色々あったり。

 

というわけで、アイマスとかも絡めていきつつその作品の話を少し

 

一応、下の画像越えたらネタバレとややセンシティブな話開始です。

 

 

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20201201214949j:image

 

 

 

 

話を超ざっくり言ってしまうと、

天使の少女が蹂躙される夢を見た教育実習生の男が、学園の女生徒たちへと至極倒錯・猟奇的な性愛を働いていく。…というのは全て心病ませた彼が病院内で見ている幻覚で、主人公はコンプレックスや悪意の中、幻想と現実の狭間で暴走を進め精神を破綻させていくのだった。ただ一人だけ実在していた、夢で見た天使に似ている少女と言葉を交わしながら

といった感じ。

 

精神疾患という非常にナイーブなテーマも扱っているのですが(そしてその観点から見ればめちゃくちゃ雑)、そこや主人公の人格の良し悪しについては今回本題じゃないのでここでは割愛。

 

 

この『さよならを教えて』は当時なりの美少女ゲームへのアンチテーゼをもって作られていたと言われています。こいついっつもアンチテーゼっつってんなとか言わない。

なるほど、ヒロインの中にはいかにもギャルゲーキャラでございというキャラもいるが、それが皆一様に主人公の男の精神的な陰を投影した存在でありながら凄惨な骸となっていく。ご丁寧に「伝説の樹」まで登場する。恋人を殺した女を贖罪のため天へと導くという伝説の。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203205549j:image

物語の途中から、男は(ヒロイン達への陵虐は何だったのだとばかりに)「自分が彼女達を救わなければ…」ということを都度口にするようになっていく。「それが出来なければ、自分の存在意義とは何なのだろう」と。このコンプレックスと自己卑下、自己肯定のための他者加虐に満ちている主人公の世界において、『求愛』とは『贖罪』でしかなかったのだろう。「生きていてごめんなさい。愛をもってあなたを救済をさせてください。私の存在意義のために」という。

 

「愛が一方通行でいいのなら……相手からの愛を期待しないで済むのなら、僕はいくらでも人を愛することができるのに……。」

 

痛快なほど美少女作品へのアンチテーゼを得ているのではなかろうか。いや2001年の時点で「作品内の美少女アイコンに熱心な愛を注ぐ」というのがどれだけコンセプトとして確立されていたかは私は知らない、確立されるのはもっと先のことかも。この時点で題材たりえたのはただひたすら創作のキャラクターに没頭する現実の人々の姿のみだったのかもしれない。

それは一方的だ。本人からの審査を受けることもなく一方的に愛を注いでゆく。その有り様は今やソーシャルゲームという終わりが予め用意されない作風が普及してからは更に顕著になっていっただろう。特にアイドルマスターに代表される「どのキャラクターかのプロデューサーとなり、そのキャラクターに架空の中で触れんと影響を及ぼさんとする」作風なんかは。そしてユーザーは時に例えば「プロデューサーの務め」などと自己実現や意義をかけて愛に熱を上げる。一方的に。

01年の頃だと美少女ゲームの大概は「こちらが何をせずとも美少女が好意を届けてくれるゲーム」であったのではないかと思うが、今では「向こうのキャラクターアイコンにこちらが好意を示すことが主題」な作品も増えた。そのどちらもが、時代を超えて『さよならを教えて』に皮肉を込めて串刺しにされている。

そうだ、シャニマスの話で「誰が一番シャニPに対し恋人的ムーヴをとっているか」という下世話な話題が執り行われたりもするが、それもまたこれだ。愛が一方通行で消化されようとする。

 

f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203205329j:image

また一方で、さよ教の男は「君の中に君はいるか、僕はいるか」と確認したいがために夢想の中で人形と殺し合う(本人は人形とは認識していないのだが)。自分を許容しうる他者に飢えているから。イメージを肉付けする “想像” たるのは常にその人の世界の断片的投影でしかない。閉塞した空想世界で他者の存在を望むという矛盾した思念が男を倒錯へ導く。だが幻想の少女の頭を割ったところで出てくるのは空っぽ。そこに他者性はなく、また他者を排除した世界の男は自己を把握することすらもできない。

そして、男は唯一実在する天使の少女を強く怖れる。作者曰く「彼女に対する主人公の恐怖は、心惹かれる対象と、現実に、1対1で向かい合わねばならないことへの恐怖だったのではないか」ということ。その提起は美少女ゲーム・恋愛ゲームの幅が広がった昨今においても、いやパッケージとして消化される以上永遠に憑きまとう提起だろう。

さよならを教えて』というタイトルからなるこの物語は、何へのさよならだったかと言えば自分の夢想する少女や天使偶像への「さよなら」だった。そのさよならの後に待つのはどうすることも出来ない現実。現実から架空の少女に会いに行くゲームとは真逆を説うた 夢想の少女と別れ現実へ帰すというテーゼが滲み出た題名ではなかろうか。


f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203161011j:image

そしてクライマックス、男は天使の少女を伝説の樹に吊るす。首に輪をかけて吊るし上げる。彼女を本当に天使にするために、救済するために。

それは、この男にとって唯一可能な愛の実現だったのだ。自己否定に染め上がった男が、自身の腕の中へ迎えることを救済の愛とできるはずもなく、救済の手段は究極には殺戮というウツシヨからの離脱しかありえなかったのだろう。少女を天使という “煌めく舞台” に連れていく。この男の祈りと救いの完成形としての絞首台。キラメキを首に据えた支配欲。

 

とはいえ、後日談を見るとそれもまた男の幻覚だったようなのだが。どこからどこまでが幻覚で真実なのかは幅を残すだろうが、少女が退院する直前に医師に伝えた話によると、男は常に紳士的で退院前に会話した際には「お互い励まし合った」と話していたという。

内省世界の袋小路は現実の他者からの許容をもって初めて脱出経路を為す。それ自身が天使の殺戮という “救済” の形とは対比的だ。

少女との会話をピークにした一連の事態によって、男の夢想世界は一度完全に崩壊し新しい夢想が再構築される。男やその周辺にとってはあまり救いと呼び難いラストだが、だが偶然の悪戯であれ男の天使への想いは確かに少女を救ったのだ。いや、滅裂に破綻しているとはいえ、男の意思がなければ少女はそのような形で救われることなかったとしたら、それは偶然という言葉では片付けられない帰結ではなかろうか。

 

 

あと、そうだな、「ちょっとググったらこの物語はああだこうだというユーザーの『解釈』文書がぞろぞろ出てくる」というのもまたシャニマスの原点ぶりを思わずにはいられなかったり。

 

 


f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203162958j:image

さて、話は戻ってこの作品に触れた理由は霧子の話題で挙げられがちだったからですけども。

なるほど悪夢の中で見た天使と瓜二つの少女。他の「まるで自分の弱いところや汚いところを表出したような少女」の中に混ざってしまった白で光な少女。唯一、(直接の関わりは殆どなかったろうとはいえ)自分の存在を承認し良しとしてくれた人。

 

「そうです。あのコが僕の畏敬する天使様なのです」

 

……まあ、霧子と絡めてどう思うかと言われても「眩しいほどの白はこちらの黒を曝し上位へ昇ってくれますね」とでもいうか。あとは、“偶像” とは何たるかみたいな話。

観念的存在の唯物的証明」……ある意味アイマスが描こうとするアイドルと少女の垣根すべてに繋がることではあるけど、特に霧子の世界と人間・幽谷霧子と向き合わんとする私達には馴染みを感じる言葉だ。霧子の存在を追いながらその人間的な文脈を掴もうとする私達はまさに観念的存在の唯物的証明。「夢でも、夢じゃなくても」と「生きてることは、物語じゃないから」。

 

 

f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203211428j:image
f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203163025j:image

あとさよ教に触れて思ったことが、円香が自己の世界に本心を閉じ込めておくことができるのは「樋口円香の存在を承認し受容する役割」を幼馴染─ノクチルが大きく担ってるからだよなあと、改めて。だからこそ円香はその「いつものままの自分たち」に固執し、それが変質することを怖れるのだろう。例えば単身長崎から来た少女が円香と同じスタンスでいられるかというとまず身を滅ぼすだろう。勿論逆に恋鐘のような生き方も円香には荷が重いだろうが。樹の下に巣があるなら、首吊りの天使にはなりたくないもの。

 

と、「救済のための首吊り」と「煌めく舞台」を並べて語ったりするのだが、そこで私が見ようとするのは「偶像」と「少女自身」。煌めく舞台に上げられたとて、その少女自身が確かな幸福や喜びを見つけられたならそれでいい。それは天使ではなく少女の幸福だ。

最もそんな少女は実在せず、あるのはユーザーの一方的な愛情だけなのだが。そういえば霧子が雪や花に人格を象って物語を見出すのを「架空のものに椅子を与えて心を発育させる論理」になぞらえた話もありましたね。夢想と、現実と。

 

 

 

あと私的には見逃せない。筋肉少女帯の歌詞がところどころに引用されていたな。

「夕日で、街が燃えてるみたい……」「でもね、街は燃えても、一番ダメな私は残るの」  「狂えばカリスマ、吠えれば天才、死んだら神様、なにもしなけりゃ生き仏……」

これはままありふれた言葉まわしだけど「塵は塵に、灰は灰に。」という文章も出てきてちょっとBUCK-TICKが頭を過ったり。どちらも自己否定の聖典だったからな。

BUCK-TICKで天使にまつわる歌は……めちゃくちゃあるが、ああ、『天使は誰だ』。ジョン・レノンを殺した男の歌だ。まあこの曲の場合天使とは殺した側のことなのだが。ライ麦畑でイキっぱなしのジーザス。Iconoclasm teaching of angel  Clash and clash.

 

設定集に作者からイメージ元にした筋少の曲がいくつか紹介されていたけど、『機械』は上げられてなくてあらっとなったり。自分は見終わってすぐ「なるほど、シナリオ全体は機械なんだな」などと思ったのだが。

f:id:franca_LEDIEFAHT:20201201230009j:image

 

拗らせた一方的な偏愛が暗闇の淵から怪異を招く。でも、それに対しきっと天使は微笑むでしょう。微笑まない。そんなものはお前が見ている幻覚だ。空へ向ける舞台装置。

 

各CGのタイトルも秀逸だったな。最初に見た天使の夢の画が『ノアの方舟』だったり。『孔雀狩り』とか。

 

あー、物語の舞台は夕焼け、逢魔ヶ刻だった。

実を言うと私は橙色が嫌いだ。生理的に嫌い。濃い紅は好きだが色落ちした赤みたいな色は全て嫌いなんだ。照らされた色。ネガティブな印象を及ぼさないとされる色。だがそれは救済の白にはなれない。だから夕焼けよりも夜明けが好きだ。

 

 

 

 

 

……?

 

 

[デレマス]Love∞Destinyを教えて[さよならを教えて]

by shimadanoki3/カレーメシさん 様
f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203124607j:image

https://soundcloud.com/shimadanoki3/lovedestiny?ref=clipboard&p=a&c=0

 



f:id:franca_LEDIEFAHT:20201203164854j:image

 

天使は誰だ