最愛の物語『サガフロンティア2』

 

私の今までに出逢った中で最も好きな物語の話を

 


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サガ フロンティア

99年にスクウェアから発売されたゲーム。ゲームですが、私が今までに見たあらゆる映画や小説よりも一番好きな創作物語です。

 

何それという人のために、まず超ざっくりしたあらすじを。

 

 

舞台はサンダイルという、『アニマ』と呼ばれる力を中心に社会が成り立っている地。アニマとは術などを引き出すために用いる力とされており、すなわちサンダイルは何をするにも術を前提とした術社会。人の命が尽きるとき、その人の持っていたアニマは強い衝撃を放って自然へと還るとされている。


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物語は、そんな術社会の乱世に生きた二人の主人公からはじまる。

いわゆる歴史の表と裏を描く作品なので、まとまりよく4つの項目にまとめて順番に紹介していきたい。

 

 

ギュスターヴ編
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フィニー王国の世継ぎとして生まれたギュスターヴ13世。しかし王位継承の儀の際に彼はアニマをまったく持たない所謂「術不能者」であることが判明。実父国王に「私たちの子ではない」「あれは石ころ以下だ」と「出来損ない」の烙印を押され、庇った母ソフィー共々王家から追放される。
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屈折した少年時代を過ごすも、強き母ソフィーや良き仲間たちに囲われ成長していくギュスターヴ。その過程で、アニマを寄せ付けないため疎んじられていた「鉄」の存在に目をつけ、鋼鉄の剣を製作しはじめる。
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ソフィーの病死後、ギュスターヴは自分に出来ることを確かめたい一心で乱世に出、アニマの術を通さない鋼鉄軍団を率いて大陸の覇権を握り、父亡きフィニーの王宮に返り咲く。
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その後は妹弟との再会、拠点を自ら建設した都市ハン・ノヴァへと移し、「鉄の時代」を形成する。そして復讐、進軍、陰謀、暗殺、政戦、焼き討ちと乱世の世を駆け抜け暴君と名を轟かせ、49歳 何者かの襲撃を受け炎の中にその姿を消す。鋼鉄の大剣だけを遺して。


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ナイツ編

 

ギュスターヴと同年に生まれアニマを授かったウィリアム・ナイツ(以後ウィル)。ディガーと呼ばれる発掘家であったウィルは、冒険の最中に両親の死に関与してると思われるクヴェル(古代の遺物)『エッグ』の情報を掴み、その存在を追う。
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エッグは滅びゆく古代の種族が自らの存在と地上での主権を復活させるためにその思念を封じ、遥か後世にあたる現代にまで残したアニマの結晶。アニマを用いて生活する様態自身がこの古代種族からの伝承だとも。

エッグを所持した人間は意志をエッグに操られ、エッグの意のままに行動し、死ねばエッグにアニマを吸収される。それを繰り返すことでエッグは力をつけながら人類を脅かす復活へと向かっているのだ。

孫娘まで三代、いやウィルの両親から数えて四代にも及ぶ、歴史に語られざるエッグとの死闘の物語(とかくジョジョっぽいことで有名)。


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ギュスターヴの死後

 

サンダイルの争乱はギュスターヴ亡き後も、いやそれをも理由にして続いていく。

ギュスターヴの死からおよそ30年後、我こそはギュスターヴの子孫だ、後継者だと名乗る者たちが続々出始める。それはギュスターヴの遺体は見つかっておらず、正確には消息不明のままだから。更に言うとアニマを持たないギュスターヴの最期を誰も感知できなかったからだ。だがその名を名乗る者たちは、みな権力争いに打って出ようとする荒くれ者たちであった。

終戦への望みと権利争いが入り雑じる各国和平会議の最中、卵型のクヴェルを持った偽ギュスターヴが強力な軍を率いてハン・ノヴァを蹂躙し台頭する。

亡きギュスターヴ13世の妹と親友の孫にあたるデーヴィドは、自国の領権と引き換えに台頭してきた偽ギュスターヴを諸侯との連合軍で討伐することを提案。偽ギュスターヴ軍を退ける。

その後、デーヴィドは和平条約を調印させる。亡きギュスターヴへの敬意をもって、術と鉄が共存する時代を創り、そして長き平和の時代をもたらした。


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エッグとの最終決戦

 

人間の力は一人によるものではないと気づいたエッグは偽ギュスターヴを生み出し歴史の表舞台に登場するが、デーヴィドたちの連合軍に敗走。より強大な力を手に入れんとする。

追ってきたウィル達との最後の戦いが始まる。
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ウィル・ナイツに、その孫娘ジニー、デーヴィドの従兄弟でフィン王国の正統な後継者グスタフ、そのフィン王国と争い合ったカンタールの娘プルミエール、ギュスターヴやナイツ家を援助し続けた術師一派の弟子ミーティア一般人代表のロベルト。この歴史が生み出したあらゆる立場の者たちが歴史の裏側に集結し、ついにエッグを倒す。


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それでもなお復活せんとするエッグ。とどめをさしたのは、グスタフが振るったギュスターヴ13世の鉄の剣であった。アニマを一切寄せ付けないギュスターヴが生涯鍛え上げた剣が、自身の剣先もろとも旧時代の亡霊エッグを撃ち砕いたのだ。

エッグの本当の最期、エッグに囚われていた多くの人々のアニマが解放され還っていくのを見届け、一同はその場を後にした。

 


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・感想

 

歴史の変節と社会の変節、生きる意味と死の意味、ロマンシズムとリアリズム、そういったものをぎゅうぎゅうに詰めこんだ作品だと思う。

所謂歴史の表舞台 “ギュスターヴ編” は様々な歴史を元ネタにしている。しかし単に元ネタの組み合わせでは終わらない物語の塩梅とファンタジー性に貫かれた物語であろう。アニマの特性を利用した暗殺集団とそれが通じないギュスターヴのくだりなどはその世界観の完成度に息を呑むほど。

 

そして歴史は残される年表ではなく、語られざる社会の姿をもって生きている。歴史の主役は常に社会を生きた名もなき人々であり、いや言い換えれば歴史の悲劇は社会に生きる一人ひとりが生み出した悲劇でもあるだろう。ギュスターヴに「出来損ない!」と罵声を浴びせたのは名も語られぬ民間人たちだ。しかしその価値観は、その語られることもない多くの人々の変化によってギュスターヴを英雄にも映すまで変化していく。サガフロ2は歴史の変節と同時に社会の変節も描いてみせた物語である。

 

歴史観といえば、プロデューサー・シナリオライター河津氏のツイートに関心深いものがあったので引用。


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歴史は常に途上である。どれだけ完成された世界に見えてしまっても(某所で『未完成の歴史』という楽曲名があって、単に詩的なのは分かってても「いや逆に完成済みの歴史って何だよ」ってツッコミたくなってしまったな…)

術を通した価値観以外の存在意義は考えられなかったサンダイルと、今私達が生きている時代は一体どのくらい違うと言えるのだろう。

 

 

生死観ということについては、私はサガフロ2以上の創作物語は知らない。ファンの間ではお馴染みの当時のCMのフレーズからして突き抜けている。

 

「主人公の死、そこから本当の物語が始まる。」

うーんネタばれダイナミック、あいやいや…

ギュスターヴの死は普通にプレイしていればまさにゲームの折り返し地点くらい。その後、争乱から和平までも彼の名は借り出され、最後はアニマの権化エッグを彼の剣が斬り倒す。

ギュスターヴをそう駆りたて後の英雄たらしめた出発点はただただ「石ころ以下と扱われた自分に何が出来うるのか確かめたい」という自己意識、エゴだけだ。“尊厳” とは何かを問うような話である。出来損ないと棄てられ、何か出来ることを、存在の意味をと走り続けたギュスターヴのその証がエッグを葬るにまで至らしめたのだ。

 

もう一つ、この手の世代を渡りゆく大河ドラマはとかく血縁主義と隣り合わせである。ナイツ編もシンプルに子へ孫へと引き継がれる冒険譚だし。

しかしギュスターヴ編はそうはならなかった。
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ギュスターヴ13世からして母ともども実父たる国王に棄てられた存在だし、腹違いの弟14世は「出来損ないめ!」の恨み言葉を投げつけながら処刑、最後のデーヴィドとグスタフに繋がるのはギュスターヴの生き別れの妹マリーと親友ケルヴィンの子孫であるし、その間・デーヴィドの父にあたるチャールズは乱世に余計な火種を撒くくらい性格が悪い。「黄金の精神の血筋」とはまるで無縁である。

だからこそ、複雑に組まれたリアリティは物語への深い説得力を宿す。グスタフ達までの家系図がギュスターヴから一直線だったら正直いくらかうすら寒かったであろう。ギュスターヴを英雄たらしめたのは「血筋」なんかではなく、むしろそういったものと真逆の境遇からである。

同年にスクウェアが発売した主要タイトル作品、比較に上げてしまって申し訳ないが、 “ロボット同然に産み出された命にエンディングで何の脈略もなく子孫が登場して「命は続く」と謳う” という正直自分にはまるで受けつけない内容だった(好きな方ごめんね)。無理やりにでも子孫を登場させなければ「生きた価値」を証明できないならギュスターヴには結局生きた価値はない。生きた証とはそこではないのだというより緻密に織り込まれたテーゼがある。

 

 

・神と信仰

サガシリーズといえばラスボスが神様! というイメージだが、サガフロ2には「神」と呼ばれる存在は登場しない。それは意図的なもので、例えばシリーズ恒例の槍技『活殺獣衝』も『活殺獣衝』に名を変えられているというくらいに徹底されている。

だが信仰や宗教は登場する。アニマを信仰し、当然アニマを持たぬ「術不能者」を忌み嫌っていた『アニマ教』だ。
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作中的には真偽に怪しいとはいえギュスターヴ周辺への暗殺事件の疑いがかけられるアニマ教。相当の信心をアニマに注いでいたことは間違いないだろう。

明確な信心を持って行動する彼らは端的であったろうが、例えば城を去るギュスターヴに「出来損ない!」と吐き捨てた町民、王位継承の儀を通過していない者は王とは認めないと叫ぶじいさん、いやそもそもは術が使えないという一つの理由で息子ギュスターヴを追放する決断を下した前王。描かれるフィニー国の姿は明確に宗教国の姿であるし、ギュスターヴの生い立ちは一つの視点には宗教や観念的な思想によって排外された生い立ちだ。

そう、サガフロ2は「意図的に神という呼称を省きながら、しかし宗教的様態を入念に描いた作品」なのである。その結果として、宗教の固着したイメージを最低限に留めつつもリンクさせて “観念的価値に迎合し、また他者を排除する人間たちや社会の姿” 、その社会性を脱却していく様を描ききったのだ。神は所詮人間達が描いた空絵の結晶、その萌芽はそこにいる人間一人ひとりによるものだ。

そしてこの世界において敢えて “神(偶像)” と呼べうる存在は何か? と問われればそれは間違いなく『アニマ』であるし、それを発明したとされまた人々のアニマを操り喰らう古代種族の思念──ラスボス・エッグこそがやはりこの舞台における “神” なのだ。
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かくしてギュスターヴの鉄の剣は神を殺す剣となる。アニマを至上とする社会・観念それ自身を。

 

 

・アニマと命の関係

 

サガフロ2の世界ではアニマはほぼ命と同等の存在であるかのように語られる。だが、現にアニマを持たずともギュスターヴは生きていた。では、アニマとは何なのか?


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攻略本アルティマニアには「(作品に触れられる)理論は観念的なものでしかなく、科学的見地から見た場合、アニマはいくつもの要素の複合体とも、本当は存在していないのだ、とも言われている。」という記述もある。

「いくつもの要素」とは、術を発動させる資源であったり、人命の死と共に呼応する力であったり。
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アニマの正体にはファンの間にもいくつかの解釈があって、「ギュスターヴにも、本人含む誰にも感知しえないアニマがあったのだ」という解釈もある。

私は、「結局アニマと人の命には直接の関連はないものだ」という見方を持ちたい。作中の物語は一貫してアニマと命が同じ存在であるかのように語られているが、それ自体が作中世界特有の価値観でその遠い未来からみれば単なる迷信なのだということ。現代の私達が雨乞いをしたからといって雨が降るわけではないと知っているように。

そう思いたいのは、未だ見えぬ実像へと向かうフロンティアこそ何より力強く、リアリズムにこそより胸を打つロマンがあると思いたいからだろうか。そして私がこの物語に感動したのはアニマを持ってるからでも持っていないからでもなく、ギュスターヴ達が生きたということが、最も心に響いたからだろう。それは 生けるもののサガ だから。